室町時代の初期、4代義持の時代のお話です。


当時の関東地方は足利尊氏の次男の子孫が

鎌倉公方として関東10カ国を治めていました。


室町幕府との関係は対等ではなく

京都の将軍が鎌倉公方に統治委任しているといった扱いなので、無論京都の意向が一番に反映されます。


当時鎌倉は

三代目鎌倉公方が死んで

4代目足利持氏が幼少なので

持氏のおじさんと関東管領上杉禅秀が鎌倉府の評定をリードして治めていました。

足利満兼(おじさん)と上杉禅秀が

評定衆の大半を味方につけて

持氏派との間に争いが起こります。


当初満兼と禅秀は鎌倉を占拠

後に2ヶ月天下と言われるんですが

関東の国人勢力を取り込んで一定の支持を得ます


持氏は駿河に逃げます。


この関東での乱は京都の4代義持に伝わると

評定が開かれて、持氏支持を表明します。


すると京都からの援軍を得て

今度は持氏が鎌倉を奪還して

上杉禅秀の乱は鎮圧されます。

勿論周辺国人達もすぐさま手のひらを返したわけです。

たったの1年で上杉禅秀の乱は鎮圧されました。


要は室町将軍の威光は燦然と輝いていたと言うことです。


この上杉禅秀の乱以降犬掛上杉氏は没落して

山内上杉氏が台頭するのです。


ここで面白いのは血統家格が重要なんですね。

すぐに上杉氏が滅亡したわけではなくて

上杉氏の代わりの上杉氏が出てくるだけで

結局一族で関東管領は回してるんです。


勿論鎌倉公方家も将軍に討伐されようが

関東管領と揉めようが

結局頭に祭り上げられるのは鎌倉公方家の人なんです。


鎌倉公方→関東管領→守護→国人という構図は

潰れないということです。

この構図を潰したら自分の地位も安泰ではないからです。

だからこの構図が変化しないように変わりをすぐにこさえる事が大切なわけです。

そしてその構図は一族の内乱で違う当主を据えるだけなので親兄弟での争いが頻繁に起こるわけです。



簡単に下剋上といいますが

実際は家格大国日本ではなかなか

大変なんですね。


家格秩序を壊すのは三好長慶が出てくるまで

時間がかかるんです。


室町時代は戦国時代に突入するまで

すべて身内同士の争い家督争いとなります。


敵は親類にあり。


ちなみに上杉氏は足利尊氏の奥さんの実家。

二代将軍義詮は幼少期鎌倉を任されてたので

そちらに一族重臣上杉氏を配置

関東に根を張ったというわけです。