三悪を行ったとされてる松永久秀。


三悪とは

将軍殺し

東大寺焼討

主家乗っ取り


書き出すと凄い極悪人ですね(笑)


織田信長か上洛する前のおはなしです。


教科書には織田信長が上洛する前、

畿内では細川晴元、三好長慶、松永久秀へと権力が移って行った

みたいな書き方されてますけど


松永久秀ってそんな大物ではなくて

権力が移っていったとは言えない位

主家に対して乗っ取り行為を行ってないんです。


松永久秀は三好長慶の祐筆をしていたとされていて

まあ出身不明の武士です。

ただ有能だったので右腕にはなってます。


三好長慶は間違いなく最初の天下人で

畿内を中心に最大13カ国に及ぶ版図を築きました。

この人優秀な長男を若くして亡くして、養子とるんですけど

三好家の隆盛が短いのは長慶が40代で寿命が尽きた為です。

で、三好家を支えていた三好三人衆と無能の養子と有能な家臣である松永久秀で争いが起こります。

皆が敵対したり仲間になったり

室町末期特有のカオスですよ(笑)


三好家が内紛を起こしてる最中に織田信長が上洛してきたのでそこで三好家の隆盛物語は終了です。

実際の隆盛は三好長慶の晩年5年ほどでしょう。


でその後釜に松永久秀が抜きんでたと書かれてるわけですが、抜きんでたわけではなく

織田信長の庇護下に入って一番最後まで生き残ったから

三好家の権力の後釜になったみたいな表現されてるんでしょうね。


で、

松永久秀

実際は

将軍家足利義輝を殺害していません。

殺害したのは三好長慶の養子と三好三人衆と松永久秀の息子です。

勿論殺害された現場にはいません。

松永久秀は将軍義輝の弟の最後の将軍義昭を

逃がすという行為をしています。

未来の将軍を助けたのに将軍を殺害した極悪人にされる

可哀想な人(笑)


2つ目

東大寺焼討

三好三人衆との東大寺大仏殿の戦いでは

近くの多聞山城に籠っていて

三好三人衆が東大寺に陣をしいています。

複数の軍記物には三好の失火で大仏殿が燃えたとの記載が見えます。

まあ軍記物ですから信頼性は低いですが

東大寺が燃えた記載が軍記物でしか見られないので

唯一の現存する資料が軍記物のみなんですね。

燃えたのは三好陣を東大寺にひかせた東大寺の責任ですね。



主家乗っ取り


三好長慶には養子がいたのでのっとってはいません。

なんなら東大寺の戦いでは

三好義継(長慶の養子)と松永久秀の連合軍対三好三人衆(笑)

乗っ取ろうとしてるのは三好三人衆です。


その後も三好義継も松永久秀も織田信長の配下となり

、かつその後反乱を起こして二人とも殺されます。


つまり幼君を抱いてとかそういうのではなくて

二人とも各々自立した大名という扱いです。

なんなら三好三人衆が三好義継を擁立して乗っ取り感を出してます。

あくまで松永久秀は三好義継に対して

こちらに不利益があれば守りはするけど

積極的に攻めていくなんてことはありません。


なんか松永久秀が可哀想な位極悪人にされてるので

すべて否定してみました。


松永久秀は大和さえ自分の土地であれば良いのです。

ライバルは筒井順慶なのです。

彼をやっつける事が目的で生きていると言ってもいいくらい筒井順慶を倒そうとします。

織田信長に反乱を起こしたのは

最初大和一国を貰えてたのに

一回目の反乱で大和を没収されて

筒井順慶に大和一国を与えたから反乱を起こしたのでしょう。

反乱を起こしたので大和を没収されたのは仕方ないけど、次に与えたのが筒井順慶だから2回目の反乱を起こしたのだろうと推察されます。


まあそんな感じです。