攻撃的な言葉 | 津軽三味線奏者 佐藤壽治の徒然日記

津軽三味線奏者 佐藤壽治の徒然日記

主に佐藤壽治の日記、重造会の活動など紹介。

宣伝活動、演奏やお稽古について書くこともありますが、大半は日々気が付いた事を書いています。

余計な記事は読みたくない方もいるとは思いますが、お付きあいよろしくお願い致しますm(_ _)m

ブログを御覧いただきありがとうございます。津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

報道などに注視している事が増えたものでいろんな人の文章を読む機会が増えました。

 

最近耳にするマウントを取るような文章や、書いた本人が気付いていない、もしくは気付いているけど気付いていないフリ、もしくはやんわりとした皮肉、という攻撃的な言葉が散見します。

 

特に新型コロナウイルスや専門家の知識が必要な場面では「専門家ではない」で終わればいいところを「ずぶの素人」と表したり・・・本人は相手を酷評して気持ちがいいのでしょうかね?

 

 

 

わがやの教えとでも言えばいいのか、わたしの中での柱とでもいいのか。

 

わたしは自分の事は全く優れていないものと認識しています。

自分を否定的に考えているのではなく、相手の事をよく見なさいという意味での捉え方です。

 

津軽三味線に関して優れているのは自覚しています。

しかし、それ以外の事も優れているのでしょうか?

 

希にすべてが優れている人は存在しますが、自分はそうなのでしょうか?

目の前にいる人は自分より優れたものを持っていませんか?

そういう目を忘れずにいないと態度の端々に嫌味として出てきてしまい、最終的には信用を失う事になります。

 

 

例:

『目上の人が頭を下げて教えを乞うてくる事があります。

そういった人に懇切丁寧に教えてあげているのがわたしの仕事です。』

 

こう書くとちょっと攻撃的な印象です。

ちょっとの事なのですが、言葉の選択で印象は大きく変わります。

 

そして心の中でこういう思考をしている人は必ず態度に現れます。

それをかい掴んで「横柄」「横着」「えらそう」などと言われる事になります。

 

 

 

よい師匠はよい弟子を育てるもの。

師匠の行いから弟子は学ぶもの。

弟子は師匠の鏡。

 

相手の技術、気持ちや体調、生活環境まで気遣いながら津軽三味線というものを長く楽しんでいけるよう道を作りたい・・・そう思っています。

大事なものはかける言葉に意味をもたせる事。

時には激しく厳しく、時には優しく温かく。

 

相手を思いやる心があればお互いのどこかが伸びるもの。

今の世の中はちと厳しすぎるひとが多く露出するような気がします。

それもまた世間。

 

 

 

 

 

 

今日も一日がんばりましょう。