ブログを御覧いただきありがとうございます。津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
昨日書きたかった事は結局思い出せず。
蕎麦を打っていて思いついたのにすっかり忘れてしまいました。
薬味にみょうがを使ったわけではないのになぜだろう。
さて、そんなくだらない世間話はおいといて、昨日で東京浅草にある「追分」という民謡酒場がお店を閉じました。
修行に入った事はありませんが、遊びに行ったことは何度かあります。
そして、その中でお稽古に励む人も何人か知っていますし、お付き合いの出来た人もいます。
初めて行ったのは、うちの先生が浅草木馬亭での定期公演会(などわの唄会・芸術祭出展舞台)の打ち上げで使った時だと思います。
写真があり、公演に協力してくれた人たちが集まって楽しそうにしていました。
その当時の私はたぶん高校生か大学生だったと思います。
まったくやる気の無い学生息子が思ったのは、「こんな店があるんや」という事と「修行するってなに?」という事。
当時の私からすると、お稽古したりするのは自宅で行われていましたし、普段から唄付や踊りの地方の練習うんぬんを生徒さんへ教えているのを聞かされていました。
お坊ちゃんでしたし跡を継いでいこうとも考えていませんでしたから、外へ出てまでお稽古なんて・・・と思ったのを憶えています。
しかし、自分がこの世界に戻ってきて真面目に芸を磨こうとする人と出会い、自分自身が腕で負けてはいけない世界と向き合う事で民謡酒場という存在がいかに大事なのか痛感しました。
様子を見ていると仲が良いし、笑いの絶えない空気が漂ってはいるのですが、お客さんの中に芸人が混じり、舞台へと一歩あがると全員の目の色が変わるのが見て取れました。
基本的にはお酒を飲む場所でもありますから、酔った席での話の中で質問してきた人もいました。
「福井の大先生はどんなお稽古をする人なんですか?」という質問は何度も聞きました。
自身も師匠についているのですが、広く情報を集めようと必死な姿がちらりと見え、そんな姿を見せてもいい場所が民謡酒場だったわけです。
色んな団体や個人から惜しまれる言葉や、行動があったかとは思いますが一番悔しいのはお店の主に女将さんだと思います。
嫌なことや辛い時代もあったと思いますが、このお店の人間や修行に入る子たちがいたから頑張ってこれたでしょう。
修行を終えて活躍する子たちや、色んな師匠達とのお付き合いも励みになっていたと思います。
残念の二文字では到底表せない気持ちでいっぱいだと思います。
時期を同じにもうひとつ浅草には「みどり」という民謡酒場があり、このお店でも大女将が亡くなられたとさびしいお知らせがありました。
年齢の話を持ち出してはいけないと思いますが、わたしの先生も80の壁に手がかかる年齢になっている事を考えるとどうしてもその時は近づいているんだと思ってしまいます。
どこかで、誰かには大事な話は引き継がせているとは思いますが、今のうちにたくさん話を聞いてい置かなくてはならないと思います。
修行をする場所が無くなり、心意気や心構えに所作などの基本を学べる機会と教える人がいなくなると、残るものは無法で低俗なものにもなりかねません。
誰かが上手く受け取り、引き継いでいかないと今後の民謡界は闇の中に入ってしまいます。
協会などの全国規模の団体はありますが、あるからと安心してはいられませんし、それほど機能しているわけでもありません。
なんだか考えがうまくまとまりませんが、自分に出来る事はきちんとしていこうと思います。
たぶん話せる事と話せない事があるとは思いますが、それでもわが家は色んな話が出来る環境です。
それをひとつひとつ大事にとらえておこうと思います。
なくなってしまったものは残念ではありますが、前へと進める糧となってもらえたと感謝します。
どちらも、お疲れさまでした。がんばります。