さて、東京は昭和大学病院での検査入院を終え
一旦帰宅し、本格的な入院へと目線が移る。

検査入院からさほど日にちもないが
前回の仙台入院のおかげで、準備するべきものはあらかた揃っていた。

この時は、オヤジも、病院への道のりも承知していたので
オフクロと二人で旅立った。
自宅からの最寄の駅までは、知り合いが送って行ってくれた。
俺は手術日に合わせて、親類、知人を率いて行くこともあり地元へ残った。
数日後、3名を連れて病院まで行かなくてはならぬ。

この時点で、東京で間借りするお宅の友人と、オフクロの面識はない。
少々無理を言って、友人に病院まで出向いてもらい
彼女の自宅までの道のりを、実際に連れ立ってもらった。

そうでもしないと、丸っきり東京など右も左もわからぬ人である。

この辺が田舎者の悪さ丸出しである。
知らぬ土地、大都会
それでも、そこで、例え数ヶ月であっても暮らさなくてはならぬ。
道すがらなり、駅からの乗り換えホームなり
覚えて然るべきと俺は思うのだが…
どうやらそれが出来ぬ人種らしい。

かくいう俺も、数回東京に行ったことがあるだけで
山手線沿線しか歩いたことはなかったのだ。
せいぜい、受験で、井の頭線やら、遊びでその他路線に乗ったことがあるくらい。
実はセカンドオピニオンで昭和大へいったときも
迷わず行けたのが、不思議なくらいなのだ。
それでも
目的遂行のためには、四の五の言っていられない
そういう思いからなのである。

仙台には、約1年暮らしたこともあり
遊びで数度車で走ったこともある。
さしたる不安もなかったが、それでも、オフクロが居住する地域は未知の領域だった。

この、東京での闘病生活から、今現在まで約半年。
その間オフクロの東京での生活は4ヶ月。
それでも、まるっきり、東京駅や、その他、乗換駅などの知識が皆無なのには恐れ入る。
これを、怠慢、などと片付けてはいけないのであろうが…
俺には、よもや、の話である。

迷ったら聞けばいいだけの話ではないか。
これには呆れて口が塞がらなかった。

とにかく、この日は、オフクロも友人宅へと、無事たどり着き
数日後、俺は予定通り、東京へと、親類3名を連れ立って
上京の途へと着くのである。