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大家さんがいい人過ぎて感動しました!
お風呂が入居してからお湯張りが半分しかできなく、しっかりお風呂で温まれなく困っているということを管理会社さんに相談した。
業者を手配していただき、給湯器が16年前のもので廃番になっていて、新しく用意するなら26万かかることがわかり、大家さんが全額出してくださいました。
この家は築75年、家賃5万5千、3K。市内の中心部でこの値段な理由は現状引き渡し。
基本は前の住人が退去したやつを直すのはこちら負担。
昨日管理会社さんから連絡あり、「大家さんが、その後給湯器の状態はどうですか。お風呂のお湯はしっかり溜まるようになりましたか?温まれてますか?と気にしていらっしゃったので、いかがですか?」と。
うちは「はい。おかげさまでお湯張りは調整できて、お湯はしっかり溜まるようになりました。温まれてます。昨年中に手配していただきありがとうございましたとお伝えください」とお返事しました。
大家さんは4軒の土地持ちだが、別に散髪屋さんも営んでいらっしゃいます。
生活保護受給者が家賃扶助以上の家を借りるのに他の大家さんは内覧もさせてくれない中、唯一内覧させていただけ、書類を見て、実際会って決めるとおっしゃってくださいました。
お会いすると温かい、とても人間性の素晴らしい老夫婦でした。
入居後はライフラインの連絡先を手書きでくださりました。
そして、給湯器を新しく手配してくださるだけでなく、こうして入居者の生活を気にかけてくださいます。
今回うちが入居してから管理会社に管理を委託しましたが、元々は大家さんが家賃を取りに行って大丈夫な家は集金に回ったり管理を頑張っていらっしゃったみたい。ちなみに大家さんはこの辺りに住んでいるわけではありません。
家賃収入で食べようと思えば簡単です。4軒を取り壊し、マンションにすればいいのだから。この辺りは学生も多いし学生にも、学研都市だからファミリー層にも需要あります。治安も良く交通も非常に便利!
そんな話しもよくある中、敢えて困ってる人が住めるようにと置いているそう。本職がありながら、入居者想いなところがすごいです!
普段接客してるからこその細やかな気遣いなのかもしれません。
うちは現状引き渡しなのをいいことに住みやすいように変えまくってます。
多分うちが退去したら家賃上げるかもね。
昨日はヘルパーさんと居間のラグを買ったから敷きました。
狭い洋室2.5帖に合う200×200のにしました。洗えるゴブラン織、滑り止めつきです。
もし、この家を何年後か退去してもホットカーペット、床暖房に対応しているので生活スタイルが変わっても大丈夫なように。
居間にコタツを置いてますが、フローリングで寒かったのです。
これで快適に!
この部屋はうちの寝室でもあるので寝る時はコタツをしまわないといけません。コタツの敷布団にしたら面倒なのでラグにしました。
旧宅は間取りが素晴らしいけど、管理会社が横柄で、大家は管理会社に一任するような人。入居後の不具合はさすがに大家に出していただきました。
その後も不具合があり、管理会社に相談すると、入居して間もないのに元取れてない、家賃安い訳ありなんで我慢してと言われました。
ネズミが家に出た時は屋根裏が巣にされてたが通気口が入居時から塞がれていたので工事の許可を得ようとしたら逆ギレ。やむなく引っ越ししました。
貸家に2回住んで管理会社や大家の全然違う人柄を経験したのでした。
若い頃のうちは人が良すぎて、気も弱い人でした。
いつも世の中や人間に懐疑的な気持ちはありつつ、立ち向かう度胸はありませんでした。
いろいろ相手を調子に乗らせてしまってました。
たくさんの人に酷い目に遭ってきました。
うちは元々疑問を疑問のままに置かず、立ち向かう気質を持ってたが、父にその性格だと女だといい嫁になれないと直して育てられてきました。
母は父が沸点が低いため、怒らせないようにしてました。
うちは発達障害児ですが、知能は幼稚園ぐらいは多分ボーダーだったんじゃないかな。当時は発達障害という概念がない。障害児はかなり知能の遅れが目立つ子以外、普通の子として育てられる時代。うちは普通の子として育てられました。
うちは発達もゆっくり、手先も不器用なので母に何でも先回りしてやってもらい、過保護に育てられ、祖父母からは甘やかされ、人任せの何にもできない子になりました。
結婚相手が経済力があり、包んで守ってくれる人なら幸せだったかもしれない。
今時そんな人の方が少ない。
うちはうちのままでいたい!
父の思ういい嫁にはなれなかったが、子どもを3人産み、孫を見せてあげられた。結婚も18年、専業主婦も10年した。
うちは女性らしくない性格だし、仕事も好きだ。家事は好きじゃないけど、家事支援のヘルパーさん呼んで学んでいる。性格は女らしくないが、ファッション、メイク、インテリアとかは興味あるし、女に生まれたからには楽しむ。
育児は好き。保育科、児童教育学科出身で幼稚園教諭免許二種を取った。幼稚園の先生は当時就職難な上、就職の面接や試験で極度の対人恐怖で実力が発揮できずなれなかった。実習で小さい子の前では素でいられた。折り紙は苦手だった。ピアノも小学3年から習っていて当時はそこそこレベルだが楽譜も読めたし、弾けた。大人になってから発達障害ってわかったから今更なれないけど。
うちは苦労の人生だが、学びもたくさんある人生だと思う。
こんな性格なので人とぶつかり苦労するが、優しい人、素晴らしい人にも恵まれている。
大家さん、ありがとうございます!