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締め切りが16時半だったのですが、メディアレポートは視聴してメモを取り書かないといけない箇所があるのだが、間に合わないってことで7枚だけそこを空欄にして提出した。


リィにしたら37枚のレポート、メディアレポートを提出日までに出したのが奇跡なので、努力が認められ、月曜日の文化祭準備の日にメモを全て書いたら卒業に必要な単位が認められることになった!


リィさんは軽度知的障害者。


実はうちは今週ずっと休んで、必死に教えたし、昨日は力尽きたリィさんに代わり16時半の10分前にうちが学校に出してきた!


軽度知的障害者のリィさんは中学から育成学級。高校は支援学校に進学せず、本人の強い希望で通信制高校に入学。


卒業後は障害者の施設で働かず、本人の強い希望で小さい頃からの夢であるパティシエになるため製菓専門学校に1年間進学が決定!


リィさんは3歳健診でボキャブラリーが2歳児並みだと指摘され療育が勧められた。しかし、義両親と同居していたこともあり、元旦那を含め猛反対!


理由は障害者というレッテルが貼られたらお嫁に行けないから。


発達検査したのは4年生の頃。幼稚園年長から場面緘黙。


2月から不登校になったリィさん。義両親の無理解から同居解消。元旦那とは亀裂が入り、しばらくしたら家庭内別居。


リィさんは中学卒業まで長期不登校していた。厳密に言ったら数日通う時期はあるが、トータルしたら約5年。


うちら夫婦は2年前に別居。そして、5ヶ月前に離婚成立。


うちはリィが診断されたら当然みんなで力を合わせて育てていくと思っていたが、元旦那や元義両親はそうではなかった。


うちは発達検査の診断と不登校をきっかけにリィと本格的に向き合うことに決めた。


リィの1番の味方でありたかった。


元々周りに対して冷静に分析できるリィ。やっと自分の小さい頃の気持ち、今の気持ちを高校生になって話してくれるようになった。


語彙力は同年代に比べ乏しいが、周りを分析し、客観視し、的確に考えを話せる。もちろん会話を引き出してあげないといけないし、ゆっくり聴いてあげなきゃいけない。


うちはとにかくリィを必死に育ててきた。リィはあの頃本当はこう思っていた、こうしたかった、こう発言できたら良かったとか話してくれるようになった。


うちは子どもは3人いるし、婚姻中からワンオペ育児だったから至らなかったこともあるし、リィ自身が発言に性格から控えめな部分もあったし、主張の仕方が正しく伝わらないこともあった。


だけど、リィの人格は良くも悪くも小さい頃からの積み重ねで形成されていき、今に至る。


高校も何とか卒業できそうです。


うちは出身高校は普通科ではなく、保育関係の仕事を目指していたので保育科でした。基本しか一般の勉強はしていません。中学の通信簿は3年時で2と3しかありません。落ちこぼれだったが、高校は偏差値がすごく低いので学年トップ10内に常に入っていました。幼稚園の先生になりたかったので進学したいから必死に勉強。推薦で短大に合格。


幼稚園の先生にはなれなかったが、夢であるうちみたいな子に理解ある人になりたいは実現した!


発達障害は大人になってから診断。発達障害は大人になってからも発達するのでリィに勉強を教える作業は大変だけど楽しかったです。


皆さんは高校生が何を勉強してるかご存知ですか?情報の勉強でネットリテラシーや総合でジェンダー問題、いろんな勉強してきてよく出てきたのは持続可能なエネルギーの可能性。


今の高校生は将来社会で生きるための必要知識はうちら親世代とは全然違います。


軽度知的障害のお子さんを持つ保護者の皆さんで通信制高校の進学を目指してる人へ。


入学できたら必死になって教えてあげてください。学び直しです。


支援学校は高校卒業資格はありません。


高校卒業資格が欲しいのなら通信制高校はおすすめです。