美しい静かな田舎暮らしを考えて
別荘地で中古物件を買い、車なしで暮らす、地球にやさしい生活の軌跡。

十里木での生活で2年目を迎え、今思うこと-住まう人について実直な感想を

去年の同じ日、8月2日に十里木 [ じゅうりぎ ] に移り住んで、一年が経った。
慌ただしい日々の流れに乗せられて、流された来たかのような今日にいるのだけど、ここで少し足を止めて、振り返る。

[1/5]・・ネット環境がある故に成り立つ田舎暮らし
[2/5]・・人生のグランドラインを実現させる願い方
[3/5]・・そこに見出す自然の「普通」の美しさ
[4/5]・・住まいと環境をついての正直な感想
からの続き。

いくら自然豊かな環境で住んでいるからと言え、人が結局相手にするのは、「人」だ。

1年住んだ間に、多くはすれ違うだけの対応だけど、その少ないタイミングだけから判断し述べることは、誤解もあるだろうし、限定された狭い領域だけの感想になるのだけど、少なくとも僕個人の経験した範囲での実感を書いておこうと思う。

きちんと書いてしまうけど、近所の住民の方は、別荘地という偏見と印象から、多少、慇懃でもマナー意識の高い人が多いと思っていたけど、普通の住宅街と変わらない感じで、あくまでも個人的な環境下での意見だけど、「中の下」といったところ。。。

人を遠ざけるような言い方の印象になってしまうことを恐れずに書いてしまうと、マナー意識や礼儀は、社会人生活できちんと教化され身に付いたものが、そのまま表現される。

そして別荘地という意識は、そこに生活する人、関わる人誰もが持って過ごしている。
普通の住宅街では、見知らぬ人とすれ違っても挨拶はしないのが通常だけど、別荘地では、その生活圏のくくりの意識を、だいたいの人が持って過ごしていることから、会えば挨拶を交わすことが普通となっている。

ただ僕が嫌で面倒に思うのは、相手がしなくてはいけないから、とりあえず挨拶をするといった表情でのコミュニケーションがあったときだ。
特に50代ぐらいからの女性は、加齢が原因となって、そうするつもりが無くても、無表情なまま、挨拶をしている印象があると、残念に思える。。。

まぁ、コミュニケーションが苦手で、挨拶が苦手で苦痛で、したくありませんよ的な雰囲気ありありの人も多いけど、そういう挨拶の雰囲気を感じる度に、やっぱり僕は残念に思う。。。

挨拶をどうしようと思うような低いレベルの迷いがあった場合、乱暴に言ってしまえば、面倒でも人として良いと思われる方を選択して、済ませてしまえばいいのにと思ってしまう。。。

別荘地を使う、多くのたいてい生活者、利用者、関係者は、人生の折り返し時期から残り短い老年期に入っている世代がほとんどであり、良いも悪いも、甘いも苦いも酸っぱいも経験してきた「大人」なのだ。

人生の佳境をしっかり味わう時期と環境にさしかかり、下手をすると、もう何年かすれば、この世から去らねばならないかもしれないのに、挨拶も気持ちよく満足に出来ない人が、別荘地にいるというのも事実。。。

この美しい自然と景観の中で、失礼だけど、ただ老いてきた老醜として感じるとき、特別美しいと思える十里木の環境であるが故に、特に人の愚かさとして際立つ印象となるのかもしれない。

そういうところで、これも僕の実感した範囲での感想だけど、平均的な文化教養レベルを言ってしまうと、同じ富士山周りで言うなら、河口湖側の別荘地の方が、高いかもしれない。

だけど、僕が十里木で、今後、どう生活していくかということにおいては、別の問題だ。
そういう愚かさを自分の中に育ててしまうことなく、美しい十里木に比例した強さ・正しく教化された意識をもって、しなやかに美しい生活を送って生涯を過ごすのだ。

これが、僕の2年目の十里木生活における、今の立ち位置だ。

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