美しい静かな田舎暮らしを考えて
別荘地で中古物件を買い、車なしで暮らす、地球にやさしい生活の軌跡。
徹夜明けに見る美しい一日の始まりに・・・寝る
十里木[じゅうりぎ]に引っ越してから、2度目の夏を迎えようとしている。
高原地帯の十里木は、室内25℃あたりが、最近の室温の平均温度で、とても過ごしやすい。
シャツ一枚で夜うたた寝すると、少し肌寒さを感じるけど。
最近、寝具を毛布一枚にして見たけど、胸が寒く感じてしまい、眠りの深さが足らない気がしたけど、せっかく洗った冬仕様の寝具を、また引っ張り出す気にもなれず、1人寝の都合の良さを利用して、毛布を半分に折って、一応2枚重ねとして使っている。
夜、まったく無音の十里木で、集中しやすい状態になることもあって、いろいろパソコンで雑事をしている間に、あっという間に朝を迎えることがたびたび・・・・。
作業を済ませて、やっと寝れる・・・といった時に、東側で見られるのが、残念すぎるぐらい美しい木立を透過する美しい朝日。
・・・本当は目覚めて、この眺めを目にして、一日をスタートしたいのだけど、・・・僕はこの眺めを見た後に寝なければならないことが多い。。。
住みはじめて一年経つけど、いまだ、このカレンダーで見るような美しい環境で生活する意味を、把握しきれていないのだ。きっと・・・。
作った庭ではないので当たり前だけど、普通に家を立て、庭木を買って、十里木の住いにある木立ぐらいに育つのを待つのなら、僕は何度、人生を重ね、何度、死ななければならないのだろう。
そう僕は、別荘住宅が欲しかったのではなくて、この十里木の環境を毎日としたかったのだ。
自然は人間のために、その「美しさ」とか「癒し」を備えているのではない。
人間が、それを価値として勝手に感じているだけだ。
自然は峻厳で、野生から遠く離れた存在となってしまった人間を、恵んではくれるけど、助けてはくれない。
だから家という緩衝を通して接することでのみ、あぁ自然は美しいなどと言えるのだ。
人は自然を求めながら、家には朽ちず揺るがず傷まず、自然にあらがうことを常とさせている。
おしゃれで快適な田舎暮らしをしたいなら、なおさらで、都市圏の優れた開発力と抱負な物品の支えなしでは成り立たない。
自給自足を考えて、美しい田園風景での中で、洗練された田舎暮らしは実現できるけど、もし100%ナチュラルな状態から、たどり着くとしようとするなら、そこには矛盾を見出すだろう。
美しい朝に、遠い異国の地で育てられた豆の珈琲を味わいながら、僕はしばし日光を浴びて、少しの反省とともに眠りについた。