美しい静かな田舎暮らしを考えて
別荘地で中古物件を買い、車なしで暮らす、地球にやさしい生活の軌跡。
一ヵ月半ぶりの妻との週末
「海の日」の祝日で、3連休の週末を迎え、久しぶりに妻が十里木に帰ってきた。
今、妻は仕事の都合で、神奈川にいる。
・・・というより、十里木に家を買ったものだから、僕だけが十里木に来ているといった方が正解なのだろう。
仕事をそのまま続ける妻は、引っ越す前の神奈川で、より仕事に特化した生活環境を送りやすいように、職場に少し通いやすい海老名市に引っ越してもらった。
自然の十里木、街の海老名と、ハイブリットな生活環境を得た、われわれ夫婦だけど、僕は十里木だけの暮らしといった感じだ。
街の暮らしも好きだけど、あと2年ぐらいは、十里木の住い整備にかかりっきりになるだろうから、僕は自然と十里木での生活が中心になる。
十里木には去年の8月、海老名には今年の2月に引っ越しをしたのだけど、それまで二人で住んでいた座間の暮らしから退去するために、真冬の一番寒さ厳しい2月に、住まいの片付けをしたきつさは忘れられず、ほとんどトラウマとなっている。
・・・少なくとも僕の中では。。。
退去日に合わせて、荷物を整理し、梱包して、要らない大量の不要物を処分し、確実に思ったより早く迫りくる退去日に合わせて、体力的にぎりぎりの状態で作業した。
僕は15年、妻は13年住み続けた座間の住居を、実は、できるたけ感慨深く思い出を振り返りながら、去りたかったのだけど、・・・もう処理しなくてはならないこと、作業に追われ、とても乱暴な気分というような流れの中で、座間を退去した。
・・・この15年は、なんだったのだろうというぐらい、忙しさの中であっさりと引き揚げ終わった感じだ。
僕には、今の十里木生活があまりにも自然で、座間生活が夢であったように感じで過ごしている。
今一度、座間の生活を思い返すと、稚拙で幼稚な周囲の人間環境が、一番、自分の中でダメージになっている。
どんなに自分の生活を整え、物質的にも精神的にもきちんと生活を送っても、周囲の環境がそれに見合うものでないと感じるギャップと現実があった場合、ただ残念さと脱力感を、生活の一部に抱えて生活を送らざるをえない。。。
どうしても失礼な目線での話になるのだけど、・・・周囲で生活環境を共にしていた住人は、今もかわらず、僕から見ると、味気ない人としての対応力に欠ける魅力の失せた世界を、普通に生活しているのだろうか。。。
そう、・・・きっと僕は、15年の座間生活で、この経済力の低下に比例するかのような社会時勢の中で、新しい住人が住み変わるごとに人間環境の質が粗野になっていった座間生活から、抜け出したい思いが強かったと思う。
座間で生活しながら、買いたい家を見つけることが目標であったのだけど、座間から去りたい思いも、少なからずあったのだ。。。。
そんな僕にはいい思いが少なかった(ように思える・・・)座間に、今年の2月まで、妻を置いていくようなかたちで、1人で先に十里木生活をすることに、かなり不安と抵抗があり、申し訳ない思いがあったのだ。。。
僕と違って、妻はそれほど座間生活を悪くは思ってなかったのは知っているけど、今、この天国のような十里木で1人で暮らすようになるとは、まさか思わなかったし、妻を座間に残して離れて生活してもらうのは、心配で仕方なかった。
妻が仕事を続けることになり、十里木と神奈川で離れての生活が当分続くことが決まってくると、少なくとも、これ以上、妻を座間の生活環境で生活を送ってもらうことは堪えられないと思い、となりの海老名市へ、よりよい環境を求めて引っ越しをしたというわけだ。
離れて暮らすという、思ってもみなかった別居生活になってしまったけど、今は、海老名市の暮らしやすい、しっかりとしたマンションに妻が何不自由なく生活できているのを実感して、ほっと一安心している。
離れて暮らすことになってしまったけど、メリットもあって、それは、街に生活拠点を持てたこと。
十里木の生活に大量に発生する、おしゃれで機能的に優れた家電、インテリア、ちょっとした日用品も、街の生活があることで、情報や物をリアルに素早く得やすい。
田舎暮らしは、僕たち夫婦にとって、ただ田舎に住むだけを実現したかったわけではない。
浮ついた表現になるけど、わかりやすく早く伝えられる表現にもなるので、書いてしまうと、おしゃれで機能的な、自然の美しさを充足できる「田舎暮らし」、地球にやさしい暮らしをしたいわけであるのだけれども、でもそれは都市圏の豊富な開発と物質環境があってこそだと実感している。
あの座間生活に何か意味を見出して、今の十里木生活があると思いたいのだけど、座間生活の消耗が、いまだ尾を引いている感じで、座間生活を懐かしく思えるようになる日が来るのか、今のところ、当分、想像できそうにない。