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お釈迦様の顕した般若心経に、
聞く、嗅ぐ、味わう、皮膚で感じる、見るってことが無くなり、
一切の苦しみも無になるって書いてあるので、
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無とは、生きているときに味わう、全ての感覚がなくなるんだ~
そんなもんだ~ということがわかると思うんだけどね、
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あら?!よく見ると、書いてないことがある!って
気が付いた人はえらいと思う。
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なんだと思います?
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ちょっと乱暴な言い方になるかもしれないけど
苦しみはなくなるけど、
「喜び」については、無くなるって記述がないよね?
つまり、その対極にある「悲しみ」も無くならないってことよね?
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これ、どいう事かわかる人はもっとえらい!
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どいうことかと言いますとね、
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耳鼻舌身意は生きている人間の5感です。
喜怒哀楽も加わって、肉体を持ってる魂のことを言います。
つまりあなたです、生きている人ね。
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でもね、死んで魂だけになっても、
喜びや悲しみは、無になんないってことなのよ。
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魂は、怒りや、無念や、嫉妬、そしてその対極にある、
喜びというものを有している存在なんだってことです。
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だから巡禮記の先達が
魂を軽んじて生きてた人に云いたいのは
「見えないっからって、ないがしろにするな!」ってこと。
見えないからって
悲しみを見せないようにしてないかい?
喜び(感謝)を伝えるのをサボってないかい?
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逆に魂の存在に、
手を合わせる習慣を持っている人に云いたいのは。
「恐れないでいいんです。ちゃんと伝わってますよ」って
いうこと。
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この両極の考え方で、人生が変わるのはね
ものすごくあたりまえのことなんです。
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だから、ちゃんとお付き合いしましょうね。
目に見えない方々とも。
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巡禮記先達