【 ムスリム 】神様に境い目なんてないんだよね | 巡禮記(じゅんれいき)

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聖地先達がお届けする満たされるくらし

実はムスリムほど
機能的に平和を説いている教えはないだろうと思う。
 
神は神の役割。
ムハンマドのメッセンジャーとしての役割。
神と彼をつないだジブリール(ガブリエルのことね)の役割。
神官、導師の役割。
そして人、男と女の役割。
 
それを基本として定められた コーランやイスラム法は、
今も人の平穏を求めてやまない 優れた指南書なんです。
 
それに嘘をつくと イスラム過激組織となり、
最もその法に背いた行動を世界中で繰り返す。
 
そしてやはり 神に嘘をついた者が それに報復をする。
 
このように世界各地で繰り返されるれる テロや紛争は
「人は神仏に対する嘘で滅んでゆく」という
手本のようなものです。
 
神を語りながら、裏側で自分の意にそぐわぬ者を打伏しようと
中傷したり攻撃するのも、結局殺人(殺心)行為ですから
同じようなことだろうと思います。
それを新興宗教と呼びます。
 
 
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さてここは、
明治22年まで熊野本宮大社が座っていた熊野川の中州。
熊野川の氾濫で宮が被害を受けたため
300メートルくらい離れた高台に本宮を移築したその跡地。
 
大斎原(おおゆのはら)と言われるこの場所には
神が人になってゆく道筋の神々たちと
土や水という暮らしのベースを司る神々が
本宮大社に移動せずに この地に残り坐っておられます。
 
なぜなら、ここには大昔から平和を求めてこの地に求心した
数兆もの魂の往来がいまだに続いているから。
 
なぜだろう?
ここにきて祈りを始めると、
イスラムのことを思い出したんだよ。
 
不思議なめぐりあわせだといつも思うのですが、
平和を求める人の魂には
国境も宗教の区別もないのだから 仕方がないなと苦笑した次第です。
 
田中一人