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2018 12 29 準備段階の様子です。
さてと、厳冬期富士に登る 初めの第一歩!を 仕上げましょう。これをしないと、
だぁーるまさんが こぉーろんだっ! では現地ではシャレになりませんので・・・
なんせ、現地はこんな氷の山ですから・・・アイゼンが丸まっていますと、つるぅーっと転んで、ボブスレー・・・・。
まだまだかなぁ? ふぃー。しんど。 でも、これだけは、サボるわけにはいきません。命の作業です。
つんつん。指先が痛くなるように尖らせます。富士山では、そないに出刃は積極的には使いませんが(角度が30°前後が多い)、長田尾根の一部や、大弛の急斜面やつづら折りの登山道を直登する場合等で、出番を迎えます。
重ねた新聞紙を通過しなければ 不合格ですっ。検査は厳重に?行います。
コレは、ピッケルの一番下の部分(石突き)です。富士山の場合は、特にここを 尖らせておかないといけません。
つるんつるんの氷ですから、ここが滑るとバランスを崩してしまいます。
このように四方から削り込んで、先を尖らせます。
まぁ、いい感じですかね。
先端部分も(ピック)親指の肉に食い込んでピッケルをぶら下げるくらいに仕上げます。
こちらは、テクニカルピッケルです。主に北ア用です。雪壁にぶち込んでの「登攀」主体の場合は、こちらを「主」として使いますが、富士山の場合は、サブとして使います。
上がカジタックスエキスパートⅡです。数十年の年代物。made inJapan(日)です。
ピック部分は削りすぎて数センチも短くなっています。
下は、ペツルのSUN,TEC made in france(仏)です。
ブーツにオイルを塗っておきます。
富士山でベロンとソールが剥がれるなど、不安はありましたが・・・
7年使用しています。
アク(石井スポーツと連携)の厳冬期用ブーツですが、少々くたびれかけです。これは、made in germany(独)です。
やはり、山のモノは命がかかっていますので、こういうモノは、Amazonの激安商品made in ※※※製は、使いません。
ふぅ、コレでなんとかなるっしょ!(^^)! 後は・・・もっとくたびれたエンジンの問題ですっ(笑) 装備がなんぼしっかりしていても 肝心のエンジンがフル回転できるかどうか・・・
そろそろ こういう登山から身を引かなければなりませんねー。特に富士山は、一気に登り、一気に下るという・・・スポーツ的要素が大きいです。年寄には最もきつい部類だと思います。
その点、他の山のバリエーションなどでは、じっくりと腰を据えて自分のペースで登れますからねぇ・・・。
富士山では、爆風でテントは飛ばされるか、破壊されるか・・・・。テン泊はご法度です(*ノωノ)
訓練中のプロ 片山右京氏の富士山遭難事故が蘇ります。
今回は風がキツイのは承知です。
寒気が下りてきているのも承知です。
バリバリ ツルツルのアイスバーンも 承知です。
無理して上がれば どうなるのかも 経験済みです。
家で暖かいもの食べて 布団の中でくるまっていた方が
そりゃ、らくちんです(^_-)-☆
年齢的にもおそらく最後の厳冬期富士チャレンジでしょうね。
では、パッキングをして、早めに眠りまーす。
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2018 12 30お昼過ぎ 西臼塚に到着です。h
明日は、あのお山に登りまーす。って、登れるんかい???
標高1242m、ベースキャンプC1を設営。(極地法)かっ(笑) 太郎坊トンネル横のPは、狭くて常に満車状態ですので、こちらでまったりと前日を過ごします。
テントの入り口を開けると、富士山が見えますよ(^^)/
まだ、陽が出ているのに寒いです。気温を測ると-4.4℃。そりゃ、六甲・金剛・比良の関西を代表する山頂よりも高い所でキャンプしているのですから・・・。周りに雪がないのが不思議なくらいです。
マックスバリューで買った唐揚げ弁当が、ほぼ凍り付いていまして・・・ストーブで温めなおしています。しかし、表面と割りばしが焦げただけで、中身は冷たいまんまでしたっ(ー_ー)!!
冷たいけれど、食べなくちゃ。明日にそなえてカロリーを摂取しておかないと・・・
電子レンジで チン! だと良いのですがねー。
弁当は硬くて冷たくて半分泣きながら胃に流し込みましたが、-7度で冷やしておいたプリンは、冷たくておいしかったです(^_-)-☆
明日に備えてもう寝ます。しかし、どんどんと冷え込んできましたよー。
ココよりも250mほど低い、山中湖の31日の気温です。-10℃前後です。ココは、さらに低く-12℃で目が覚めました。午後11:55分。お湯を沸かしてテルモス2本に満タンにし、もう一度お湯を沸かして「カップ焼きぞば」とランチパックをもりもり食べました。
結局なんやかんやで 出遅れました。太郎坊トンネル横にはもう、3台の車が止まっていました。 いってきまーす! 午前2時50スタートです。
今年は、まったく雪が見られない大石小屋です。昔はここがC1でした。
6年前・・・約60kgを担ぎ上げて、ぜいたくなキャンプを楽しみながら、二日間連続チャレンジ失敗した苦い思い出・・・。
大石小屋上あたりから見る御殿場の夜景です。コレは六甲山の勝ちですねっ(^^♪
しかし、標高は氷ノ山(1510m)を軽く上回っています。寒い・・・。
インナーは、ファインテックの網シャツの上モンベルのジオラインやメリノウール。雨具の重ね着の上に、シマムラフード付きダウンを着ていますが、それでも立ち止まると寒いです。
手袋も、厳冬期用に替えました。街用のフリース手袋など通用しませんでした。
黎明
おなかが減りました。朝食のカップ焼きそばとランチパックを食べたのは、もう6時間も前の事・・・
写真は見ずらいですが イモ羊羹を取り出しました。後ろに白くぼーっと見えているのが富士山です。
平成最後の大晦日のご来光が来るかっ????
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
初日の出じゃなく、ラスト日の出? とにもかくにも2018年最後の一日です。
紅富士です。
アイゼン装着。家で装着ベストになるように調整してきましたので、ガチッ。とバックルを下げると見事にぴったんこ。 一度コレをやってなく、地吹雪吹きさす真夜中に調整しないとアイゼンがぐらつくことがありまして・・・ミトンを外して素手で調整しなおしたときは、痛さで涙が出たほどです。(失敗で覚えますね)
山中湖が見えています。しかし・・・雪がこの4合目当たりでもカチカチです。ここでも下手すりゃ、数百も落ちてしまう・・・。すでにアイスバーンの世界です。
ブル道に立っている標柱が果てしなく続いています。見えているのになかなか次の標柱まで進まない・・・。一歩一歩蹴り込んで上がりますので、筋肉疲労が来ます。
ちかれた・・・。休憩です。もう、辺りはカリカリのアイスですから、落ちないように標柱を挟み込んで休みます。ここでも初期制動で失敗しますと、ボブスレーで止まらない状態の今日の富士山。
今年の3月では、この辺りはサクッ サクッと 快適でしたが・・・
この通り、3月はピッケルじゃなく、ストックで登れていましたよ。
しかし、空が蒼いです。紺碧っていうのは このことなのでしょうね。
ふぇー・・・目指していた新6合目小屋にやっと近づきました。想定外の蹴り込みで体力不足が諸に露呈。歳食ったなぁ・・・
もう、あの小屋で 終わろうか・・・風も予想通りに猛烈な夜明け前の洗礼の吹きおろしもないですし・・・
アイゼンを見てください。蹴り込んでも1mmささるかどうかの世界。
コレは、8合目以上の硬さの氷に仕上がってますよ・・・。気が抜けません。
新6合目小屋小屋を超えて、ブル道最後の標柱にやってきました。しかし・・・
この6合目大斜面は、斜度があります。ダブルアックスで(両腕にピッケル)で登れないこともないでしょうが・・・。標柱の30㎝上で、滑落実験をしました。すると、すぐに体が流れ出し、ピッケルを打ち付けて停止を試みましたが、ピッケルのピック(先端部分)がはじかれて、標識で股間を打ち付けて止まりました。
「やばいなぁ・・・コレ」
6合目大斜面でのこの硬さは、初めての経験です。まるで、9合目の大弛沢以上の硬さです。( ゚Д゚)
どうする?
うーん。
ひょっとして、宝永沢は氷じゃなく「雪」じゃないのか?
それから、ブル道詰めの6合目斜度と宝永直登道では、角度が宝永の方がマシです。
「よしっ、宝永沢を大トラバースするでぇー!」
「おいっ、もしゴリゴリに凍っていたら、余計にやばいんじゃないのぅ?」
「しゃーない。これを直上するよかマシやっ!」
いくでー! 決死の?大トラバース。もし、ミスをしますと結構長くボブスレーをして2.5合目の岩場にどっかーん・・・ですね。
喉が渇きましたが、水分を取る余裕はありません。
ううう。雪じゃありませんでした。思いっきり凍り付いたバーンです。ピッケルも思いっきりぶち込んでも2ミリくらいしか刺さりません。
こういう硬いアイスバーンのトラバースは、背面でピッケルをぶち込んでアイゼンの出刃をぶち込んで、カニサン歩きで行くか・・・
それとも正面向いて、思いっきりアイゼンを足の裏全体で蹴り込んで進んでいくかどうかです。
どうしまんの?
時間も体力もないので、正面向きで進む。
ひっかけたり、バランスを崩さないよう、慎重に進む。
どうしても硬くて歯が立たなくなれば、背面でカニサン歩きに変える。以上!
ふぇー・・・カニサン歩きをせずに、正面切って大トラバースで、対岸の宝永路の標柱にたどり着きましたっ。ふぇー・・・久しぶりにアドレナリン放出。その間は写真を撮るのもできませんでした。
角度がブル道の突き上げとは違い緩いですので、その点は大トラバースが功を奏しました。
標高2732m・・・もうチョイ上がれば、宝永美曲線が見える。そこまでは、がんばろう・・・。
いつの間にかに、富士山は雲の上に突き出しています。あーたまぁーを くもぉのー
うーえにぃだぁしー♪
お子達が終業式の最後に、演奏と歌をプレゼントしてくれたのを思い出しました。
今日は下からは富士山が見えないのでしょうね。
しかし、角度は緩いとはいえ、ゴリゴリの氷の硬さは同じでした。
先行していた方が降りてきました。聞くと「7合目で撤退。風が出てきたのと、アイスが硬すぎる・・・」でした。
荷物が軽そうでした。
私のザックは13kgを超えています。予備のミトン 予備のダウン2着 予備のフリース 予備のオーバーミトン&テムレス ツエルト 予備ピッケル 水類 ミカン ぜリー二袋 羊羹・飴・パン・マット・・・
万が一のために ビバークできる装備です。
5年前は、軽装でした。
でも失敗を回を重ねるごとに、万が一・・・で 装備が重くなり今回は35Lザックですから、余計に入る入る・・・。やっぱりもう少し小さいザックで来るべきでした。
風が出てきました。いつもの音です。「ごぉおおー」「バラバラバラ」
いつものが 舞い始めました。
思い切りけり込んだら2mm位アイゼンが食い込みました。ブル道よりはマシです。
宝永美曲線・・・なんとか見れました。
やっとこさ、平場の岩場でザックを下ろし、「ジャムパンの気持ち」
お湯がうんまい!
大トラバースで喉がカラカラになりましたので、お湯のお替りいっぱい飲みました!
カメラを飛ばされないようにして、ここで初めて自撮りに成功も、ザックで抑え込んでいた右手のオーバーミトンが風で飛ばされ、7mほど下の岩場に引っかかって停止。ピッケルぶち込みながら、なんとか救助に成功・・・💦
そういえば、昨年の年末には7合目砂走館で、爆風に見舞われ、置いていたザックやオーバーミトン、ケータイ、そして頭につけていたヘッデンが飛ばされ ヘッデンが壊れてしまい、オーバーミトンも片手を失い・・・なくなく下山を強いられたのを思い出しました。
蹴り込んでも食い込んでくれない、ツルツル&ゴリゴリのアイスバーンの帰り下山は大丈夫なのか? を考えました。
風が出始めました。音も大きくなってきました。
ゆっくりペースでもっと上に登ると、この斜面を日が暮れて降りることになりますが、バーンが更に硬くなりヤバくなりそう・・・
しかし、3000m超えは狙いたいです。せめて3050mの草鞋館へ・・・・。
下を見ると宝永乗越の爆風が吹き荒れてきています。
・・・後、33mだけ上がると、標高3000mなのですが・・・実は、ここで2回、行ったり来たりを繰り返し、自分の中で闘いがありました。
これぐらいの風は何回も経験していますし・・・この時期、山頂で15:00というのも経験しています。
しかし、下りが2.8合目までずっと硬いアイスバーンで、一蹴り一蹴りして降りなければならないのは、初めてです。よほど体力を温存していないとできません。
それと、ガスの宝永を降りる時は…必ずと言ってよいほどホワイトアウトに遭遇します。GPSがない自分は、ここでよく道を外してしまいます・・・。
3年前の年末の宝永道。3人で下山していた時もガスの中。この時はブロッケン現象が現れたり、雪も無くワイワイとおしゃべりしながら下りましたが、この時もルートを外しました。
アオダイショーさんのGPSで、軌道修正し標柱を発見。軌道に乗れました。
5年前の三月でも ここでホワイトアウトになり 標柱を外しました。ただし雪はバーンではないです。ザクザクの雪です。
しかし、それでも焦りました。
大きくコースアウトして、グランドキャニオンみたいなところに出て、ガスが引くのをじっと我慢して待っていたこともあります。むやみに降りてしまいますと「樹海」に入り込み、彷徨い疲労困憊するでしょう。
実際に、無事登頂できたのに、ガスにまかれてブル道の東側に降りてしまい、樹海に入り込んで疲労凍死してしまったクライマーさんも居ました。
そんな経験がありますので、宝永のホワイトアウトは怖いです。しかも本日は、2.8合目まで硬いアイスバーンが続いているのですから、尚更です・・・。
「降りよか・・・」
御覧のとおり、ピッケルの石突き部分も、針のように磨いた部分(2㎜)しか食い込んでくれませんし、アイゼンも然りです。
この斜面を下るときは、かなり緊張し、足元に全神経を集中させました。
本日のアイスバーンは、表面だけがテカテカと光っているモノでなく、暑さ10㎝以上のゴリゴリの氷です。本当に気が抜けません。
でー・・・やっぱりホワイトアウト中・・・・暫く様子を見ます・
じっとしていたら寒いので、ゆっくりと蹴り込みながら じわじわと降ります。
すると、ガスの水分が自分に当たり、自分がどんどん霧氷や樹氷の対象物に変わっていくのがわかります。過冷却された水分(霧)は、何かに付着した衝撃や振動により、一瞬に液体から個体に変わります。これが霧氷や樹氷のできる仕組みです。風が強くて極低温のときは、一瞬に出来上がっていきますねー。
このまま一晩ここで立ちっぱなしでいたら、明日の朝には芸術作品(人間樹氷)と化してしまいそうです。
ふぇー・・・抜け出ました。標柱が見えました。
???
宝永大砂走で、こんなにたくさん標柱はなかったです。
そういえば、ブル道の標識も 増えていたように思います。
とにかく、宝永の標柱が新しく増えていましたので、(間隔が狭くなった)安心しました。
流石に大晦日。自衛隊の「どーん」という大砲の音は、本日は聞こえませんでした。
普通このあたりは、もう安心ゾーンなのですが、本日は、まだまだ蹴り込んで降りなければなりません。 ここでこんなに硬いバーンができあがっているのには、驚きました。
雪ズボもしんどいのですが、滑落しませんので そこは気が楽です。
美しいです。 どうぞ+ボタンをクリックして拡大で見てください。
今日の富士山 一段と奇麗です。しかし・・・一段と怖いです。
白い魔境・・・冬富士でよく使われる言葉です。
山中湖を背景に、アイスバーンを蹴り込んで 慎重に降りていきます。針のように尖らせたアイゼンでコンクリートのような氷を蹴り込んで降りる作業は、登りと同じくらいに足の筋肉を使います。しかも雪でないので蹴り返しの衝撃がきつく、膝が悪ければかなり堪える下りですねー。
やっとこさアイゼンを外せましたー(^^♪ ほっ。
でも、砂地が凍っていて滑る滑る…おまけに御殿場名物の長ーいアプローチ。よくこんなところを上がってきたなぁ・・・いつもそう思います。
真っ暗だからこそ上がれたように思います。
でも 急ぎます。日没になりますと、大石小屋からの「獣道」で迷ったことがあるからです・・・。
なので、暗くなると大回りになりますが、アスファルトのスカイラインを歩かなければなりません。
それでも 何回も富士山を振り返ってしまう自分・・・
気高く気品に溢れた孤高の山・・・厳冬期こそ この山のすばらしさを体験することができます。
夏場は、数十万人の観光登山者さんで お祭り騒ぎになります。
無数のヘッドライトが数珠つなぎになり、夏の夜は、電飾?されたイルミネーションのお山に変わります。
あの雪(氷)をまとった山頂に立てた歓びが走馬灯のように浮かんできます。
もう・・・厳冬期は・・・引退ですね・・・
本日のお山で そう感じました。
11月や3月や4月の冬富士ならば まだいけるかもしれませんが
このような下からゴリゴリアイスバーンでは、もう体力的にも精神的にも登ることは不可能でしょう。
経験値・・・これが、良くも悪くも 「行ってしまえ!」のチャレンジ精神を失うことにもなります。
知らないということは、目を輝かせて どこまでもチャレンジしますし、「何が待っているのだろう」とワクワク感もします。
しかし、経験値が上がりますと、その先の怖さも知ってしまいます。
だから荷物も多くなり、ビバークセットや無駄に多い食料や水を担ぎ上げることになります。
確かに 無事に「安全」に降りてくることが 登山の第一の目標なのですが・・・
それと、体力の問題です。
心肺能力が落ち、筋肉が落ち、ただでさえスピードが要求される厳冬期富士です。日照時間の少ないこの時期は、どうしても下山が怖くなります。
それと下山も 蹴り込んで一歩一歩慎重に降りるということは、ある意味登りよりも足の筋肉を酷使します。滑落事故は大方、登頂後の下山に起こります。
1日は大腿筋の筋肉痛で歩けませんでした。昨日も同じでした。そして今日3日は、ふくらはぎの筋肉痛がひどいです。
予定では明日から北ア入りでしたが・・・無理ですねぇ。
獣道で、ザックを下ろし まったりと休憩。
「あっ。みかん二つ担ぎ上げていたんや。食べるチャンスがなかったなぁ・・・」
袋から取り出しますと、見事に凍っていました。
じゃりっ…そんな音をたてながらも 口の中で甘さが広がりました。
はい、たっち。黄昏までに帰ってきました。
しかし、太郎坊トンネル横の駐車場は、車が出せないほど「超満員」
明日の初日の出を山頂?で見ようとする人たちでごった返しています。
「山頂まで行かれました?」
と、聞かれました。 おそらく私より年配で、親子で登る感じでした。
「いいえ、7合目下で撤退です。アイスバーンが今年は発達し、4合目からでも蹴り込んでも1~2mm程度しか アイゼンもピッケルも食い込んでくれません。大弛は、無理でしょうし、長田尾根を上ることになりますね。風がなければ 大砂走を直登した方がブル道よりは安全です。がんばってくださいね・・・」
そう言いますと
「そ・そうですか・・・」と顔が曇り、息子さんの方を見て、「ヤバいか?」と言う視線を送っていました。
今年は、正月に誰も登頂できていないかもですね。(ネットで調べる限り)
でも、ネットなど上げずに、単独猛者さんが 登ったのかもしれませんが・・・。
ただ、滑落のニュースがありませんので、それだけは よかったです。
ただいまぁー。ベースキャンプに帰ってきました。ここで一泊し、明日は二子山からでも「初日の出」を考えましたが、車を止めるスペースもないし・・・
ええい! 撤収して 帰るぞ!
ラジオで紅白を聞きながら、PAで仮眠しては起き、起きては仮眠の繰り返しをして
三重県の長島スパーランド辺りでは、カウントダウンショーがあるためにSAも大混雑で、路側帯には何㎞に続いてコーンが置かれ、駐停車できないようにしてありました。
きっと 花火でも派手に打ち上げるのでしょうね。
紅白の松任谷由実 松田聖子 そして サザンを聞きながら 新年を迎えたのは、滋賀県に突入した時でした。
この 歌詞の意味・・・若いころは判りませんでしたが、今はよーくわかります(笑)
午前3:30 神戸着。
午前4時までだと、高速料金がかなりお安くなります(^^♪
なんだろう。
これでいいのかなぁ? 充実感はない・・・
やはり 登頂できなかったら しんどさが倍増しますね。
やはり、ゴリゴリの厳冬期富士に上がるのなら トレーニングしなくちゃダメですね。
仕事に追われ、疲れ果てた体で 急いでやっつけ仕事みたいに簡単に登れる山じゃありません。
今は、土の山か ふかふかの雪の山に行きたいですっ(^_-)-☆
ってか、5年前なら、年末で敗退したら、さっそくリベンジしに 年始に富士山に出かけていましたねー。
1月3日に、リベンジ果たしていますからっ(笑)
今回で、厳冬期富士は、もう無理だなぁ・・・ひしひしと感じました。
でも、足掛け10年。 神戸からよく通ったものです。
第二の青春時代だったのかもしれませんね。
「ありがとう 富士山さん」
♪夢をー 乗せてー 走るぅ 車道
明日への旅
通り過ぎる 街の色
想い出の日々♪
ー以上 2018年 最後の厳冬期富士 のブログでした。
12月~3月の厳冬期は このように 物凄く過酷になる富士山です。
GW後~6月半ばの富士山も 天候によれば これに近くなることがあります。
789月は 開山もしており 余程の悪天候でない限り 小屋も開いていますので そないに心配はいりませんが 高山病に注意ですかね。
10月、11月と これまた 冬山になりますので それなりの装備が必要となってきます。