いつもありがとうございます。
傾聴の伝道師やまモンです。

 

以前、著名な若手経営者が
「自分の仕事にプライドをもつことは大切だが、
自分自身にブライトを持つことはあやうい」というような
趣旨を述べられていた。
 
これをきいて(読んで)、「すごい!なるほど」と思いました。
 
自分の仕事にこだわりを持ち、誰にも誇れる製品づくりなど
仕事にプライドを持っているのは、すばらしいことだと思います。
おいしいラーメンもプライドの逸品。
プライドのある仕事いいですよね。
 
しかし、こうしたプライドが自分自身のプライドとなったら
話しが違ってきます。
 
老人施設であまり人と交わろうともせず、
「私(大企業の)〇〇社に長年勤めていたんですよ」なんて
語っている人がいたとします。
聞いた方は「それで。。。。」としか言えませんよね。
 
そういう経歴をもっているということでしょうが、
今、この瞬間付き合っている人には、あまり関係のないことですね。
そういう意味では生涯現役は有利ですねぇ。
 
楽しくおしゃべり出来たり、絵が上手だったり、
歌が上手かったり、ユーモアがあったり、そういう人に
魅力的を感じますよね。昔どうだったか、要らないんです。
 
こういう自分自身のプライドは自負心として
自分自身の中で使う分には大いに結構。
「あれほどのことができたのだから、こんなことでも乗り越えられる」
といった形で使うのはすばらしいことです。
 
でも、今はそれがない人に昔は、、、と言われたら
周りは何も言えませんね。
 
一部のお年寄りには、いささかきついお話しになってしまいましたが、
※老人となった時の自戒の念をこめて、ここは書いてきました。
 
要は、プライドを現段階で今自分で発揮できる仕事だとか、
自分の生み出すアウトプットへのプライドとして持てばいいのです。
 
子育てでも、「お父さんこんなに頑張って来た」は
それは事実ですが、もっと大切なのは、今の姿です。

例えば、その我慢の歴史を語られたりしても子どもは困りますね。
親はみなさん本当に頑張っていらっしゃいます。わかります。

ただ、そのプライドの使い方や出すタイミングを間違うと大変です。
 
これも、どうしてもしてしまうかと思いますが、
仕事のお疲れやイライラからご夫婦で小さなケンカ。
そうしたところを見せているのに、「頑張って来た」歴史を
語られると、子どもとしては自分ならそんなの要らないし、
嫌だな、となってしまいます。

特に我慢してきた歴史は禁物です。
※自分も似たようなことを言ってしまった可能性がある
自責の念から、ここは書いています。
 
ひどい時には、せっかくやる気が出てきた子どもに
「あんな風になるために頑張るのはイヤ」と反抗心に火をつけてしまう
ことにもなりかねません。
 
全く非の打ちどころのないお父様が、現役で活躍中に
お父さんのようになりたいというお子さんから、教えてとこわれて
いくつかの頑張りや努力の事例を伝えるのはよいでしょう。
 
親ののストレスは、別の方法で上手にケアしていきましょう。
今の社会、ストレスがあって当然です。
 
プライドは思いになります。思いは個人個人違うし、自由。
思いの押しつけになることになります。

間違っても、親の変なプライドをメッセージとして
伝えないように気をつけましょう。
 
プライドは自分自身を鼓舞するためだけに使いましょう。