今朝
文房のカーテンを開けたとき、

ファッと陽光に照らされた松の葉
私に何かを囁いてきたような気がして・・・

記事にすることに。




少し前から
机上瓶に松の盆栽を置いています。

可愛くて一目惚れしました。


でも
ただ可愛いかったからだけではなく、

「松」という存在に、
「松」が持つ様々な意味に、

“今の自分”を、“これからの自分”を、
強引に重ねようとして・・・





松は別称「不老」と呼ばれますね。

不老長寿、不老不死の「不老」ですが、
「不老」には、ただ“老いない”だけでなく、
“老けない”という意味もあります。

“アンチエイジング”ではありませんよ。
そういうことじゃない。


“老いる”“老ける”
まるでちがうということ。

“老けない” とは、もっと内面的なもの。



その内面的なものが外にあらわれ、
すると、
まるで年をとらないように見える・・・





常緑樹である松は、断崖絶壁にも深く根を張り、
寒い季節でも緑を保っている姿から、

どんな環境、どんな状況、
どんな逆境に置かれても、
忍耐強くたくましく生きる。

老松のように
年齢を重ねてもなおしっかりと地に根つき、
青々と佇み、活力が絶えない。


よって、
いつまでも興味や好奇心を忘れない人。
自分の心に正直に生きる人。

そういう人(生き方)の象徴として。





“もし苦しみというものがなかったら、
人間は自分の限界を知らなかっただろうし、
自分というものを知らなかっただろう”

これはトルストイの言葉ですが、
尽きることのない苦難、疑問、葛藤。
苦境に立たされては、なんとかそれを乗り越え、
時には静かに耐えぬき…

その度に、私は“自分”を知り、自分自身の能力や
可能性と真剣に向き合ってきました。


自由の探求、奔放な生き方、
生への執着が強いぶん、

これから先も
しんどい日々はつづくでしょうし、
新たな窮地にも追い込まれるはず。


それでも、
私は自分の“内面の充実”に、
時間と思考を費やしていきたい。




“自分で気づく”から、

そこに成長や進歩がある、と。



自然は何も教えてはくれませんが、
人間が、自分自身が、
自然から学びとることはできますよね。


ゲーテは言っています。

“自然は絶えず我々と語るが、
その秘密を打ち明けはしない。

我々は常に自然に働きかけるが、
それを支配する何の力もない”





“じっくりと考えてきた時間”が、
今となっては“時間の節約”になっているんだなと
実感します。

これまで思考してきたこと体験が、
またそれによって
自然と身に付いていることが、

“いまの自分”をそっと支えてくれていて。



これからも変わらず、
思索と体験を積み重ねていきたい。

イヤでも積み重ねていくんだろうけれど。


“自分”をより深く知りたいから・・・




辛丑 寒露前二日 
KANAME



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