‟この山中に居るのはわかっているのに・・・”
 
 

 
会いに行ったけれど、
 
        会えなかった。
 
 
 

 
「尋隠者不遇」 隠者を尋ねて遇わず
 
隠者の暮らしぶり、その様子を、
気持ちよく鮮明に表現した
晩唐の詩人賈島(かとう / 779-843)の五言詩です。
 
賈島は、
「推敲」という言葉の由来となった故事に
登場する人物としても知られていますよ。
 
 
 
「師」は、先生。師事する人のこと。
 
「童子」は、
お手伝い(身の回りの世話)をするこども。
 
「薬」は、薬草のこと。
 
 


 
せっかく時間を割いてここまで来たのに!
 
なんだよ! もう! 時間を損した!(`へ´*)ノ
 
 
 
・・・なんて、
 
 
隠者を尋ねてやって来たこの人物は
微塵も思っていないでしょう。
 
 
 
会えないのもまた‟楽しみの一つ”
 
 
 
なぜなら・・・
 
隠者に遇えることのほうが大変珍しく
 
奇遇なのですから。
 
 


 
“会えなかった”
 
 
 
それなのに、
 
心のゆとりが感じられる・・・
 
 
 
 
 
また隠者のほうも、
 
 
“探せないよ”
 
                        探しても見つからないよ
 
 
…と、 
自分の暮らし(リズム)を楽しんでいるかのよう。
 
 
 
 
 
現代を生きる私たちには
少し理解し辛い感覚かもしれませんね。

時間というものに拘束され(振り回され)、
また、距離感などお構いなしに、
何時でも、何処でも、誰とでも、
秒単位で繋がることができる…  が故に、
何か根源的なものを見失っているような…
そんな気がします。
 
それが良い悪いということではなくて…
 
 
 
探せばすぐに‟答え”にたどり着く時代。
 
単なる知識を‟答え”と錯覚し、
頭だけが膨らみ続けていく毎日。
 
 

簡単には手に入らないもの。

すぐには身に付かないもの。

万人には理解され難いもの。


“真価”とは一体何を言うのでしょうね。




 
 
そう言えば・・・
 
 
17歳の時に弟子入りして…
 
それから1~2年ほど経った頃、
 
師匠が初めて私の名を呼んだ…
 
 

ドキッ・・・
 
 

 
‟知って(覚えて)くださってた”
 
ほんの少し距離が縮まった気がして・・・
 
 
 
あの時の、あの瞬間の嬉しさは、
 
今でも忘れられません・・・
 

 
 
 
 



書を観ていたはずが、
 
 
気付くと
 
自分の内を看ていました・・・・・・ 
 
 
 
 
 
辛丑五月下澣 雨窓
KANAME
 
 
 
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