“以心伝心”


「以心伝心」を『広辞苑』で引くと…

①言葉では表されない真理を師から弟子の
 心に伝えること。
②思うことが言葉によらず、互いの心から
 心に伝わること。





古代日本列島には     
縄文時代(“縄文文明”と言ってもよいかと)
と呼ばれる時代が長くありました

一般的に
“世界四大文明”(人類史上で最初におきた文明)
いわれている文明よりも早くに形成された
日本発祥の“縄文の文化・文明”


近年の発掘調査も進んではいるようですが
これまでの歴史認識(常識)を大きく見直す
必要もあるでしょう

出土する遺物“物的証拠”(カタチ)だけでは
やはり限界があるかと…
(遺物そのものが十分な物的証拠ですが…)



縄文時代に“文字”はなかったといわれます

一方で
土器に彫られた文様こそが“文字”であり
現代人に解読できないだけ
(或いは文字だと認めようとしないだけ)
だとする説もあります

どちらにしても

“文字を使用する文明のほうが優れている”
という見方・考え方自体を改めなければ
一向に
“真相”には辿り着けない気がします



私たちは“高度な(優れた)文明”ときくと
真っ先に
SF映画で描かれるような近未来の世界
機械的で高度な科学技術を駆使した世界を
描きがち…

しかし
“高度”“洗練されたもの”というように
言葉の解釈(理解)を少し変えるだけで

“高度な(優れた)文明”とは

実は呆気ないほどに“シンプル”な形態
指しているとも言えます


それは
“地球の恵み”
“すでにあるもの”を上手に活かした

“自然を壊さないテクノロジー”





“姿カタチばかり”取り繕ったものが
過剰にもてはやされる“見た目依存”
空虚な社会

ついつい“派手なもの”に目移りしますが

物質(目に見えるモノ)だけを追い続ける
世界の住人からすれば

その対極にある
あまりにも“シンプル”な世界というのは
その存在にすら
気付きもしないでしょう・・・



“シンプル”な世界

まさしく
その時代(とくに縄文前期以前の時代)を生きた
縄文人のように

“感じとる力”が大きければ
(テレパシー能力が高ければ)

文字がなくても(多用せずとも)

言葉がなくても(極端に少なくても)

十分な意思疎通が可能だったと思われます

相通じると言いますか…


よって
“言葉の綾”にとらわれたり
“不適切な発言”とやらに国が翻弄されたり

そのような次元とは無縁の世界



むしろそうした
人間に本来備わっている“潜在能力”
退化したから

或いは
物質(カタチ=しきたり儀式偶像崇拝
なども含め)に依存しはじめ
文字言葉に頼るようになっていったから

時が経つにつれ
次第に“能力(超感覚)”が失われていった

…とも言えますね


捉え違えてはいけないのが

古代人だから劣っていたわけではなく…

現代人だから進んでいるわけではなく…


すべての調和を意識し
足るを知っていた“彼ら”
ただ“それ以上”を求めなかっただけ・・・

なのでは?



現代人よりも遥かに高い視点を持ち

“精神が優れていたからこそ”です


(“縄文時代”と一口に言っても長期に渡る
ため、形態は時期によって変容しますが)
おおよそ
長い期間(1万年近く)続いたという痕跡は
そういうことなのではないでしょうか

良い悪いではなく冷静に考察するに…




便利になるほど不便になるように

“ことば”が増えるほど

“ことば”で苦悩する


不便不幸の数は(そう感じる瞬間は)
圧倒的に
現代人のほうが多いと思います

ストレスの数も…

病気の数も…



あくまでも
科学の発達医療技術の進歩のおかげで
人間の平均寿命は延びているのであって

“幸せの度合い”はまた別問題


仮に
縄文人たちに幸せという概念がなければ
同時に不幸せという概念も生じず

自由不自由のない“真の自由”の中で
日々を快適に過ごしていたことになります


となると…

今を生きる私たちから見れば
不便で退屈で短い人生だと見下げるものが

“彼ら”にとっては
楽しく濃厚な人生だったのかもしれません

それが“当然”のごとく・・・





さて

今の物質文明を生きる私たちにとって

理解の“入口”には

やはり文字言葉は必要です


私たちの暮らしにおいて
文字言葉
何かを伝える上での欠かせない“ツール”


ですが…

文字言葉にとらわれ過ぎると

必ず
本質(それそのもの)から遠退いていきます


とくに最近
それが如実に表れていますよね…



文字言葉
あくまで“ツール(伝達の手段)”であり
“二次的なプロセス”です


“ことば”で説明すればするほど

“ことば”が増えれば増えるほど

それそのものから
どんどん離れていくのです・・・

今この瞬間も・・・(ー_ー;)




理解の“入口”“ことば”があるとして

そこで終わりにするのではなく


それを超えて
(ことばでの論理的な理解を深めた上で)

より直接的に… より直感的に…


それそのものへの理解を

“ことば”よりも先に

“ニュアンス”で感じとる(ようにする)


こちらのほうが
大事なのかもしれませんね・・・



しかしそれは

簡単なようで難しく

難しいようで簡単で





“ことばでの論理的な理解”とは

たとえば…


「複雑(complexity)「難しい(difficult)
ちがいます


「複雑」

“誰がみてもややこしいもの”


「難しい」

“自分の感じ方”によります


おなじく

「簡単(easy)「シンプル(simplicity)
ちがいます


「簡単」

“自分の感じ方”によります


「シンプル」

“複雑ではないもの”… つまり

単純

明快

簡潔

簡明

……

……

なもの



“簡単”“シンプル(単純)”
意味合いとして似てはいますが

やはり“ニュアンス”
微妙に異なります


このわずかな差異を感じとり
“ことばでの論理的な理解”を深めた上で

さらにそれを
“ことば”よりも先に“ニュアンス”として
そのまま直感的に感じとる


“ことば”を超えて
“ニュアンスで感じとる”ことができれば

それそのものと瞬間的にリンクできます



これを
“それそのものへの理解”と呼ぶなら

“それそのものへの理解”
“ことば”で説明することは

当然できません



自分が感覚的に理解できたことを
誰かに“ことば”で伝えようとしても

それはムリなのです


“ことば”で説明すればするほど
相手に対して
“ことば”での理解を求めることになるので

今この瞬間も・・・(ー_ー;)





この世の中

とにかく
複雑に…  複雑に…

物事が絡み合っています


見方を変えれば

そういうふうに
複雑怪奇
“意図してつくられた社会”とも言えますが



複雑にすることで

思考することを停止するように導き

有無を言わせず従わせるためでしょうか…


説明書や規約などに書かれた
“注意書きの文字”が
小さくぎっしり並べられてあるように…




「シンプルさは究極の洗練である」
レオナルド・ダ・ヴィンチは言いました


物事というのは本来“シンプル”なもの

それを複雑にしたがるのが
我々人間の性(さが)


時に
“自分が難しければそれはすごいこと”

複雑にすること=素晴らしいこと”

だと勘違いする人もいますが

それは単なる“独り善がり”に過ぎません



言葉数が多いほど巧妙かといえば
必ずしもそうではありませんし

言葉数が少ないほど稚拙かといえば
必ずしもそうではありません



“複雑”という言葉(概念)がなければ
“シンプル”という言葉(概念)もなく

私たちが“シンプル”を口にするのは
それだけ
現状が“複雑”だということの表れ


“複雑”を知っている人だけが
“シンプル”を語れる


縄文時代を生きた(“複雑”を知らない)人は
自分たちが“シンプル”に生きているという
自覚や認識は無く

“シンプルって何?”  …と頭を抱えるくらい
その概念すら持っていなかったでしょう
(あくまで私個人の見解ですが)

ただただ“ごくふつうの日常”を送っていた
に過ぎないのだと・・・






最後になりますが


この世界は
“複雑に仕立て上げられているだけ”

“複雑のフリをしているだけ”

なのかもしれませんね



肉体を持ち地球で生きるということ


現れては消え

現れては消えてゆく

泡のように儚い命


縄文の時代を生きた“彼ら”

現代を生きる“私たち”

おなじ
肉体を持った“人間”であることには
何ら変わりない・・・



複雑シンプルは表裏一体

“同じコインの裏表”

または
“同じ一本の糸”


たった一本の糸が
いつの間にか複雑に絡まってしまって…


ずっとそこでもがき苦しむくらいなら

私はゆっくりゆっくり時間をかけて
その絡まった糸をほどいていく・・・


これからも
この作業を続けていきたいと思います


私にとって
“シンプル”“複雑”を見きわめることは
けっして“難しいこと”ではないので






今日のこの記事も

本当はもっと
“シンプル”にしたかったのですが・・・


単行本で言えば
わずか1~2ページ程の文字数でしょうか

ところが
全体を把握しづらいスマホやPCの画面で
読むと長~く感じますね(^^;)


“感じかたは人それぞれ”

人によっては
スラスラ読まれる方もいるでしょうし
長くて読む気もしない方もいるでしょう

興味の度合いにもよります

(十分に承知しています)

それでいいのです




“以心伝心”ですから・・・





最後までお読みいただき
ありがとうございました(* ̄∇ ̄*)



2021.02.06
KANAME


注意

どうか
この記事の文言にとらわれないでください
たいした内容ではありませんので

それより
“ニュアンス”感じとっていただければ幸いです

この記事のタイトルは「ニュアンス」ですよ(^.^)ノ