こんにちは(^.^)
毎日疲れますね
“自粛” “自粛”の 曖昧性と不明瞭性に・・・
脳(思考)が受動的にならぬよう
極力…“影響されずにいたい”
(“勝手をする”という意味でなく)
とは思いますが・・・なかなか
私個人的には
ウイルスの脅威以上に“人間”のほうが
断然こわい
この複雑かつ極端な社会の仕組みのほうが
よほど窮屈で疲弊しますし
マスメディアの報じ方(心的操作)のほうが
よほど巧妙で恐ろしいと思うのですが・・・
「世間(せけん)」という言葉を辞書で調べると
“人が集まって生活をしている場”
とあります
人は“世の間(中)”=“社会”で
つまり“かかわり合い”の中で
生きている
それが「人間(じんかん)」
“人(ひと)の間(あいだ)”です
その“かかわり合い”=“間”がなくなれば
「人間(にんげん)」は「間(ま)」が抜け
ただの「人」=“ヒト”になってしまう
間が抜けると
“マヌケ”になってしまうのです
たとえ直接的でなくても
目に見える部分でなくても
実感がなくても
私たちは
“かかわり合い”の中で生きています
良い悪いでなく
このコロナ禍において
人と人との“かかわり合い”が
ますます希薄になる一方
というより
“かかわり合い方”が変化していくなかで
一人ひとりの“生き方”や“価値観”が
瞬時に反映し合う世の中に
どこまで気を配ればよいのか・・・
すべてを“管理”・“監視”されるといった
『Vフォー・ヴェンデッタ』のような
“何も言えない社会”に似た側面もあって…
だからこそ
本質をみきわめ
“思索”(理屈)と“体験”(実践)
“手探り”と“微調整”を繰り返しながら
どこまでも心を旅し
自分の頭で思考し続けたく思います
(自戒の念を込めて)
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ここまでお読みくださり
ありがとうございました(/▽\)
今日も平安如意で・・・
2021.01.14
KANAME