いろいろな感動がありましたが
なかでも気になったことは
富士山はトイレが水洗式ではないです
(一部水洗式)
普段は排泄物について思うことなどないですが
富士山に登れば嫌でもトイレと向き合わねばなりません
トイレは汚臭が漂い
便器は汚れたままです
水洗式でないトイレにはポンコツ感が漂います
それは人類にとって一種の敗北です
たくさんの登山客が居れば
たくさんの排泄物が出るわけで
それを処理するたくさんの作業が発生します
作業者の胸に迫る虚しさはいかほどのものでしょう
昔、誰かがこんなことを言っていました
『老人介護は便の管理が重要な仕事なんだ。便秘になればかき出してあげるし、下痢になれば汚れた下着を変えてあげる。便が悪ければ驚く程簡単に体調を崩してしまうんだよ。』
なるほど
人は悪いものを身体の外に出して生きているのです
そもそも人はいつも何かを獲得し手放していきます
文化を得るかわりに野生を失います
知識を得るかわりに愚かさを失います
では何故、人は排泄する必要があるのでしょう?
当たり前だと思いますが
それは次の食物を食べるためです
富士山はそんなことを僕に伝えてくれました
富士山はやはり大きいです
それから富士山に松が生えていたのですが平地のそれとは違いました
背の高さが1メートル未満なのです
めっちゃミニマムです
推測するに強風が吹くため倒木を恐れているのではないかと思います
これをヒントにすると富士登山の豆知識として、強風時は背を丸めて歩くと良いです
最後にもう一つ
9合目で連れが僕にティッシュを渡してこう言いました
『鼻くそを掃除した方がいい。酸素が薄いから少しでも吸えるように。』
僕は黙ってティッシュを折り畳んでポケットにしまいました。
パルプンテ!