2016年と昨年の4月に多賀城市に行きました。
何故、多賀城に国府を築いたか。




奈良時代から蝦夷という民を討伐していただろうと思われます。
では蝦夷とは何か?
それは日本各地に縄文時代から住んでいた狩猟民族のことではないかと思います。
紀元前990年ごろ中国、朝鮮半島から水田稲作が伝わり、時の権力者が土地を広げ水を確保することで権力を拡大していく。
しかし、狩猟民族は小さな土地で狩猟・採集で生きていたが、坂上田村麻呂はアテルイという土地の首領を捉え、清水寺の傍で斬首するという歴史の拠点が多賀城府ということになる。
私は歴史を学術的にみるのは苦手ですが、民俗学的な見地で考えると当時の民はどのように生きていたかを想像することに興味があります。
松島湾や多賀城辺りから見ると仙台方面は蔵王の山が広がる土地であり、水田稲作が広がるのはず~っと後の時代だろうと思われます。
今NHKの大河ドラマ「光る君へ」をやっていますがそれは多賀城の時代から200年以降の話で、そのころに仙台の方も水田稲作が行われていたと想像しますが、大河ドラマは宮中の中の話で、民の暮らしは殆ど描かれていないようですから、京の都の民の生活など分かりませんから、仙台辺りの民はどうしていたかは尚更分かりません。
しかし多賀城跡の復元公開で平安時代から続く地元の祭りや風習から民の生活が垣間見えるかも知れません。
桜の咲くころ行ってみたいと思います。
参考:
[火怨・北の英雄 アテルイ伝 - Wikipedia]
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E6%80%A8