謎のパンツルック土偶 | 「縄文の馬」

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謎のパンツルック土偶

「合掌土偶」のパンツ姿のナゾ


国宝指定を受けた風張1遺跡「合掌土偶」が注目を集めています、 でも“安産を祈る姿”とだけ説明されていて、このまま定着しそうな気配で心配です。


でも、ちょっと待ってください。このパンツ姿は明らかに乗馬衣装でしょう・・しかも女性です。


亀ヶ岡遺跡の遮光土偶「シャコちゃん」も、函館市著保内野遺跡の「中空土偶」もパンツ姿の乗馬スタイルです。


東北の各地の遺跡からパンツ姿の土偶が数々出土していますが、すべて女性ということも、なんとなくイロっぽく、誰かに、助けを求めているようにみえませんか??


このパンツ姿の素敵な女性たちを、歴史学上見逃すわけにはいきません。当時の生活、習慣などを検証してみる価値はあります。


現代人も乗馬人口の8割は女性ということですので、縄文の女性も乗馬の趣味があったとしてもおかしくないですが、縄文の女性たちが、なぜ、ここまで乗馬に凝ったのでしょうか。暮らしが豊かであったように見えます。
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古代のパンツルックは騎馬民族 


 パンツルックは歴史学的、考古学的にみても、騎馬民族ということが定説です。ウクライナ、アラブ、スキタイ、モンゴルなど大陸の古代騎馬民族の騎兵はパンツ、歩兵はスカートです。


「合掌土偶」の衣装は皮の服    衣装に注目しましょう 布に刺繍したデザインという見方が一般的です。はたして、そうでしょうか?これは明らかに皮を加工した衣装です。このような皮衣装でなければ、年間をっ通じて厳しい北国での生活はムリです。特に、バックスキン(毛皮を裏返し使用)です。デザインを意識した高度なテクニックが活かされています。ここまでの技術を得るまでに、どの位の年月を経たか、とても興味がわきます。


 肩と膝、腕のパットは何を意味しているのでしょう、現在の乗馬の安全防具と見間違うほどよくできています。全体のデザイン、カッテングは皮加工しか考えられません。


しかも、実用服ならもう少しアッサリとしたデザインでもよさそうですが、細やかなところまで手がはいっているのは工芸分野で高度な技術が高まっていたのです。趣味であればあるほど、当時の豊かさが感じられます。


大陸騎馬民族の実用的なパンツルックより、むしろ蝦夷のパンツルックデザインの方が遥かに芸術的です。それよりも、騎馬文化においても蝦夷の騎馬文化の方が大陸より早かったかもしれません。


風張1遺跡から同時に発掘された、漆で仕上げられた弓矢の遺跡は、縄文の騎馬人がいたことの証明を、さらに強力に裏づけてくれます。この新しい説が本物になれば蝦夷の縄文文化でメシが食えるウマ学者、考古学者が出てくるかもしれません。(漆文化の起源でも)


さて、東北各地からこんな勇壮なパンツ姿の女性土偶がぞくぞくと出土していますので、このまま見逃すことはできません。馬がいたからこそこのような素晴しい文化が生まれたのです。何としても、ここは「縄文の馬」の存在を考古学的な見地から立証してあげなければなりません。


そこで、“北のまほろば”が世界遺産登録にむけて、さらに前進するためにも、蝦夷の「縄文の馬」文化を裏付ける作業開始の宣言をしなければならなかったワケです。ご理解いただけますか。