昭和45年に私にとって初めての従妹が誕生しました。男兄弟二人で育った私には、その子が妹のように思われました。叔母さんがその子を連れてくるたびにどれだけ成長したのか楽しみでなりませんでした。昭和45年というと私が小学校2年生。幼心に、早く大きく育って一緒に遊べるようにならないか、日々そんな思いばかりでした。それでも逢えるのは一年に一、二回。逢うたびに成長していく彼女に会えるのが楽しみでなりませんでした。
彼女が学校に通うようになると逢える回数は激減。従妹って離れているとそんなに逢うこともなくいつしか妹のような思いも薄れて本当に従妹同士としてしか考えないようになっていきました。
中学、高校、社会人になった彼女は私より先に結婚し母親になりました。そんな彼女はたまに会うといつも、『お兄ちゃんも早くお嫁さんもらわなきゃ。』と生意気なことを言います。
その従妹が先日他界しました。45歳。あまりにも早すぎた旅立ちでした。
病床の彼女がメールで『お兄ちゃんに会いたい、早く来てよ』そう訴えてくるのですが、なかなか時間が作れません。やっと見舞いに行けたときには、彼女の身体にはたくさんのチューブが入っていて、痛々しい姿になっていました。それでも私の顔を見つめ、あの時のように強がった言葉を投げかけてきます。
そんな言葉の端々に助けてほしい思いが見え隠れしていたのを感じ取りました。私が帰るときになると彼女は握手を求め、その手を握ってあげると何分も離そうとしないのです。余命幾ばくもない夏の日彼女の心の内はどんなだったろうか、元気に過ごしている私たちには測ることなど出来ません。
血圧が70を下回り、呼吸が弱くなっていくとき意識はあったんだろうか、どんな恐怖と戦っていたのか想像すら出来ません。
せめてもの慰めは、最後の時を最愛の伴侶が手を握ってくれている時に静かに息を引き取ったことでしょうか。
私も出来うることならば、そばで『ありがとう、僕の妹。』って言ってあげたかった。しかし、それはもう叶わない過去の彼方に消えていったのでした。