先の見通しも立たない経過観察の日が続き、精神的に参りそうだったので、ダメもとで腎臓内科の先生に一時帰宅を認めてもらえないか頼んだところ、感染予防に気を付けてもらえればと金曜~日曜夕方までの外泊を許可してもらえた。
なので今は3~4日以来、20日ぶりに自宅にいる。
思えば1ヶ月前、プレドニン30mgの頃の初回帰宅時に書いた記事をみて、思い返してみると、今と比べてかなり躁鬱の波が激しかったなと思う。
減薬した今も傾向としてはそう変わらないが、気分は大体4パターンで、
①なにもかもが楽しい
②憎しみに囚われて相手のことが頭から離れない
③後悔と後ろめたさで息苦しい
④何をやろうとしても動き・思考が止まってしまう
特に自分の場合は発達障害特有の症状、過去の失敗や思い出したくないことが勝手にフラッシュバックされるというのが②番と合わさって、とにかくとある相手とのことで悩まされている。
吐き出せばすこしよくなるかもしれないと期待を持ちつつ、その人のことを書かせていただく。
自分がその人と出会ったのは、去年のこと。
とはいっても、直接会ったわけではない。
インターネットのサイトで自分が提出した創作を、その人が手に取ってくれた、それだけ。
そのサイトは匿名掲示板という性質上、基本的に特定個人であることを示しつつ交流するというのが難しかった。
しかし今年に入って、その性質から外れた、一種のイベントのようなものが発足し、その人と交流するきっかけができた。
それ以来、自分はその人へ、自分が影響を受けたことや、尊敬している、と思いを伝えた。
今思うと、間違ったことやズレたことも何度もしてきたと思う。
だが、その人は何も言わなかった。
というよりも、三点リーダー(…)だけを意味ありげに呟く、という奇妙なことばかりしていた。
察してくれってことですか?
答えは同じだった。
自分が何か悪いことでもしましたか?
答えはまた、同じだった。
それから、溝がどんどん深まっていった。
今ではその人の絵が頭に浮かぶだけで、何もかもが嫌になる。
そして②の時が訪れると、その人への憎しみと否定だけが渦巻きだし、心をすり減らしている。
フラッシュバックで浮かぶのは、本当に説明のしがたい、奇妙なもの。
これまでに話した一連の経緯の、語りたくない詳細や、
その人の作品と、今置かれている自分の状況や、何の繋がりもない言葉などのコラージュのようなもの(例…自分の病気を嘲笑うかのような台詞に改編された漫画のページ等)。
そして、その人の思考回路がどうなっているか。
昔から、嫌いな人のことになると、自分はいつもそうなってしまう。どんなにねじ曲がった解釈をしてでも、必死で理解して、受け入れようとしてしまう。
人の心がなければ、と思うことも多々ある。
それ以上に、精神、身体、発達の三重苦を抱えて生きていかなければならないことへの不安とやり場のない怒り、悲しみで一杯になる。
……ぐちゃぐちゃになってしまったが、なんにしても短い一時帰宅、なるべく穏やかに、楽しく過ごしたい。