今でこそ、アダナとメルスィンという大都市に挟まれ、小ぢんまりとした町ですが、
歴史的にとんでもなく重要で、新石器時代から人が住み、ヒッタイト、アッシリアの時代から地域の要衝、ローマ帝国時代にはキリキア地方の州都だった都市です。
今はお隣アダナがトルコ第4の都市だけど、そこよりずっとすごかったタルスス
ここにくる直前に、たまたまクレオパトラのことを読んでたら📖、「タルスス」の地名が出てきてビックリ!
当時の呼び名はタルソスでしたが
そう、クレオパトラがアントニウスの前に、女神アフロディテに扮した衣装で、香を焚きこめたなか登場
して、またたく間に虜にしてしまった
というのは、ここタルススでした!!!
エジプトから船でやってきて、ここから市内に入城したといわれる、クレオパトラ門Kleopatra Kapısıが残っていました。
別名は「海門」Deniz Kapsı
その少し奥には、クレオパトラより少し前の時代、紀元前1世紀に作られた道が。
1993年の道路工事で偶然発見されたらしい💦
タルススは、クリスチャンにとって最も大切な聖人で、新約聖書の著者の1人でもある聖パウロが生まれた町でもあります!
彼の生家跡と言い伝えられてきた場所からは、近年の発掘でその時代の柱が見つかり、彼の家のものと見られているそう。
その横にある井戸はパウロも使っていたと言われ、昔からエルサレム巡礼に向かうクリスチャン
はここに立ち寄り、水を飲んだとか。
さらには、旧約聖書の「ダニエル記」📖に登場する聖ダニエルのお墓もある!
ダニエルはユダヤ教もキリスト教も誕生する前の時代(前6世紀)の人物だけど、キリスト教と、イスラーム🕌でも預言者とされています。
陰謀によって空腹のライオンのいる洞窟に投げ込まれたダニエル
神によって救われ、王に信仰を認めさせた
一般的には現イランのスーサで亡くなったとされてますが…
スーサ🇮🇷にも、サマルカンド🇺🇿にも霊廟あり
晩年にキリキアの王に招待され、首都タルソスに滞在中に亡くなった説もあり。
のちの7世紀、カリフ・ウマルのムスリム軍👳♀️🐪がタルススを征服した際、厳重に封印された棺⚰が見つかり、手に聖ダニエルのライオンの洞窟の逸話を彫った指輪
があったことから、彼の棺と確信し、川底に埋葬したそうで。
「このあたり」と伝わっていた場所に建つモスク🕌の周辺を2006年に発掘したら、ローマ時代の橋やら修道院やら、アラブ時代の廟やらが発見されました。
白いモスクの壁の下にある石造りのアーチがローマ時代の橋
大モスクである、タルスス・ウル・ジャーミーTarsus Ulu Camiも、この町のとんでもない歴史の目撃者。
ここには、9世紀のアッバース朝時代👳に建てられたモスク🕌が、10世紀に東ローマ☦️が地域を奪還すると教会⛪️に転用されるものの、14 世紀にラマザンオール君侯国👳が支配するとふたたびモスク🕌になった、という…
🕌 ⇨ ⛪️ ⇨ 🕌 って、
トルコではちょいちょいあるケースけど、なかなかの紆余曲折💦
現在の建物は、オスマン帝国の属国となっていたラマザンオール君侯国が、16世紀に再建したもの
しかも!
霊廟にある3つの棺⚰は、アッバース朝のカリフ👑マアムーン…はいいとして、のこる2つは、クルアーンのルクマーン章で言及される賢者ロクマーンと、アダムとイブの3番目の息子セトのもの
って、アンタ…すごすぎやしませんか
カリフ・マアムーンはトルクメニスタンのメルヴと縁があり、私的にはよく知ってた歴史人物なので、こんなとこに廟があって驚き😲
そんなウル・ジャーミーとは逆の経緯をたどったのは、エスキ・ジャーミーEski Cami
こちらは、12世紀初頭に東ローマの「聖パウロ教会⛪️」として建てられたものが、ラマザンオール君侯国によって15世紀頭にモスク🕌に改修されたもの。
ビザンツィンからこの地の統治を任されたキリキア・アルメニア王国時代には、王の戴冠式も行われる教会だったそう
やばいでしょ?タルスス!
小さい町なのにスゴイものがありすぎて、かなり気に入ってしまったので、1つの記事じゃ終わらなくなってしまいました
タルススの食🍽&文化と、シャフメラン伝説🐍については次号につづきます!
タルススのはずれにあった、1世紀のローマ時代のものだけど、何なのか不明な
やたらめったら巨大な建造物…不思議すぎる