ルメリ・ヒサル要塞へ | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

いつかの週末、いつものように朝ごはん屋さん🍳のブランチからスタート。

 

 

 

サルイェルの海沿い、ルメリ・ヒサルの並びのエリアは、朝ごはん屋さんが軒を連ねています。

もう結構あちこち入りましたが、今回はこちらに。

 

 

 

 

食後に何しようかってことになり、外から見るばかりで実はオットも未訪だったルメリ・ヒサルRumeli Hisarıに入ることにしました。

 

 

 

ルメリ・ヒサルは、ルメリ(バルカンなどトルコ人から見たヨーロッパ方面)の要塞という意味で、1452年にメフメット2世により、コンスタンティノープルを攻略する作戦の一環として、ボスフォラス海峡沿いに作られました。

 

 

 

ここは海峡が最も狭くなっている地点で、対岸には彼のひいお爺さんバヤズィット1世が建てたアナドル・ヒサル(アナトリア要塞)があって、海峡を渡る船を監視できました。

 

  

もちろん肉眼でも見える距離

 

 

入ってすぐは、海側に設置されていた歴代の大砲が、野ざらし☔️で展示。

 

メフメット2世がコンスタンティノープルの城壁を破るのに使った大砲がある?と期待したけど、もっとずっと後の時代のものばかりでした。

 

 

 

 

敵側の想像を超えた奇策で戦ったメフメット2世が好きな私ですが、ルメリ・ヒサル建設もその1つ。

工事作業を複数のパシャ(将軍)に分担させて競争意識🔥を煽り、こんな巨大な要塞をあの時代に90日で完成させてしまったという。

 

 

 

塔には、その部分を担当したパシャの名前がついてますが、入り口近くのを担当したハリル・パシャは、ビザンツィンから賄賂をもらった容疑でコンスタンティノープル陥落の翌々日に逮捕、後日処刑されたらしいガーン

 

 

 

内部は坂道だけど、階段が作られているから、幼児連れでも気軽に登れました。

 

 

 

景色も良いし、上がっていくとさらに視界が良くなるから、見たくて疲れず歩いてしまう。

この時はまだ夏で、天気も良かったから海も空もいい色でした!

 

  

 

 

てっぺんに来ると、メフメット2世の名前を冠した「征服王スルタン・メフメット大橋」🌉が完全に見えて、メフメット2世つながりって点でも、ボスフォラス海峡への中世と現代の対応の対比という点でもちょっと面白い。でもないか?

 

 

 

要塞内には円形劇場みたいな観客席もあって、でも舞台と思われる部分にはメスジット🕌(モスクより小規模で、金曜礼拝に使われない礼拝所)が建ってて、んんん??真顔

 

 

 

 

…と思ったら、メフメット2世の時代から残るメスジットがあったものの、貯水槽の上に建てられていたため、18世紀の地震で崩れ落ちてしまい、しばらくミナレットだけを残していて…

 

 

 

自治体がメスジット跡を平地に整えて舞台にし、周囲に観客席を作って、2008年まで野外コンサート場として長らく使われていたのでした。

そーいや、私が学生でトルコに行き来してた頃、毎年の夏のコンサートってルメリ・ヒサルでやってた記憶あるわ!

 

 

 

 

2009年から歴史的建造物の保護のためコンサート禁止になり、2015年にメスジットが再建されたそうです。

観客席はそのまま残っているので、見下ろされた所に礼拝所があって、ちょっとヘンな感じはするけど。。。

 

 

 

 

修復といえば、19世紀に要塞として使われなくなった後、敷地内には勝手に(?)家を建てて住む人が現れたらしいですが、1950年代の修復事業ですべて壊されたそうで。

コンサート会場といい、歴史古い国の人って歴史的建造物の扱いが雑すぎ…笑い泣き

 

 

かわら屋根の木造建築が砦内にいくつかあるのわかりますでしょうか…

 

 

私はどこかで、ビザンティンが都市の防御のために金角湾に渡していた鎖がルメリ・ヒサルに保管されている…と聞いたんですが、塔などの建物はどれも閉鎖されてて、見ることはできませんでした。

 

海洋博物館や考古学博物館にもあるらしいが、どうやらビザンティンの鎖か確かじゃないらしい…うーん、それじゃ面白くないな。。

 

 

夜はライトアップされてとても幻想的…。ラブ

シッターさんがいた頃は子供を預けて、夜な夜なオットと徒歩で来てました。すんごい坂きついけどね。

 

 

 

要塞もメフメット2世も好きなのに、なんで今まで来てなかったのか不思議なくらいだったので、ついに見れて良かったです照れ