素晴らしきこの世界 | 笑う門には福来る

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笑いって素晴らしい
最近そんなふうに思います

2012年の夏、世界の仕組みの素晴らしさに気付いたのです。

それはそれは、うれしかったのです。

でもそれは、さとりとか、ワンネス体験とかではないんです。

自分が居なくなったり、自分と、世界の境界が消えたわけではなかったのです。

自我がとても喜んだ、ただそれだけ。

いままで積み重ねてきた時間のなかで、いろいろ経験した、嬉しいこと、いやなこと、つらかったこと、諸々。

全て必要なことであり、綿密なシナリオに沿って運営されていた。

どっと、肩の荷が降りた感じがしたのです。

とてつもない解放感。



そして少し後にダグラスハーディングを知ったのです。

彼の開発した実験は、とても簡単に僕らの本質が見れるのです。

空ってなんなのか。

自分と世界に境界も無いし、自分もいない。

しかも、いつでも見れるのです。

人に言われた事を信じる必要なんか、ないのです。
自分で見れるのですから。

僕の場合ですが、自分の本質的を見ることは、特に嬉しいとか、楽しいとか、エクスタシーとか、そんなことは全くないのです。

ただ、あるがままの世界があるだけなんです。

これって、さとりだとか、ワンネス体験だとか、そんな大層なことではないんです。

ただあるがまま。

ここ中心は空であり、時間も空間もないんです。

でもどういった仕組みかは分かりませんが、ここ中心から世界が生まれているんです。

そして、自分という感覚もちゃんとある。

嬉しかったり、ムカついたり、ケガをすれば無茶苦茶痛いし、銀行の残高が少なくなると心配になるし、仕事でも家でも無茶苦茶言われたりするし。

出来事も感情もやっきては、去っていく。

やっぱ、あるがままなんです。

ここ中心には何もないけども、ここから発生するこの世界は何でもあるんです。何でもありなんです。

ここは何も無いけれど、ここから外には神様もいるし、悪魔もいるし、平和もあるし、戦争もあるし、引き寄せの法則もあるし、美味しい料理もある。

ここ中心は生まれも死にもしないけど、人間は必ず死ぬ。

何か、世界は素晴らしくもあるし、そうでもなかったりする。

と、僕は思うのです。

素晴らしきこの世界
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