6月16日は、鶴田浩二さんの祥月命日。

 

私が鶴田さんの映画に出会ったのは、もう13年前のこと。忘れもしない「人生劇場 続飛車角」(1963)のかっこよさにくらくらっときたのだった。

前作の「人生劇場 飛車角」(1963)は言わずもがな、東映任侠映画路線の嚆矢ともされる重要な作品で知名度も抜群の大ヒット作。この映画の鶴田さんもかっこいいのだが、私はいきなり続編を観て、ファンになったのだった。続編も、3作目の「新・飛車角」(1964)も、素晴らしい映画なのだが、どうしても有名になるのは最初の作品なのは致し方あるまい。

 

それから2、3年、鶴田さん主演の東映任侠映画にしばらくはまっていた。1年で数十本は観た。映画写真集なんてものも手に入れて毎日眺めた。

任侠映画スタア鶴田浩二さんに熱狂しつつ、「男たちの旅路」の戦中派ガードマンの渋さに心酔。鶴田さんの歌う軍歌にも興味を持って、東映の鶴田さん主演の戦争映画もだいたい観た。

とまあ、これが私の第一次鶴田さんブーム(笑)。

 

62歳という若さで逝去されたが、それでも200作品以上にも出演されて、そのほとんどが主役なのだからそれだけでもいかに人気があったかを物語るし、ものすごい偉業だ。おまけに歌手活動、舞台公演、後年は、テレビドラマ、各地へ講演にも行かれていたんだから、その仕事漬けぶりには驚く。

私が観た作品はようやく100本に到達するかしないかのところで、まだまだ鶴田さんの魅力を味わい尽くしてないと思い焦る反面、まだ観ぬ作品を観ることへの楽しみも残されているのだから幸せだとも言える。

 

先月、代表作の一つ「男たちの旅路」が再放送されていたのをきっかけに、第二次鶴田さんブームが到来した…。10年以上のブランクを経てまだここまでハマれるとは。この不世出の大スターがとんでもない魅力を持っているからこそだ。

それに、一度ハマったとは言え、その俳優・歌手活動の全貌を捉えることができたわけでもない。というか、全貌を捉えるなんておこがましいにも程がある。同時代に生きてきたファンでも無理だな(笑)。

 

ともあれ、今度はまた違った角度から鶴田さんの魅力を攻めないといけない(笑)。まずテレビドラマ「大空港」を全集大人買い。映画優先でテレビ作品は後回しにしていたが、やはりテレビドラマにはテレビドラマでしかできない演技があるわけで。これから見るのが楽しみ。そして同時にCD大全集十枚組と、五枚組を購入。これで発売されているCDはほぼ網羅したつもり。レコードにはまだ手を出せてないが…。古いポスターもいくつか手に入れ、やっぱり日本一の二枚目、かっこよかったなーってぼんやり眺めている。

 

この数日はCDをずっと再生しているが、やっぱりいいんだよなあ。もちろんあのお声が好きだ。ずっと聴いていたい心地よさがある。俳優さんだから当然セリフ回しが完璧なので、歌の始めや間に入る語りがなんとも味があってたまらない。

鶴田さんは歌う映画スターと言われたように、正真正銘の歌手でもあるけど、自分はあくまで映画俳優なのだと位置付けて、頑なに歌手とは名乗らなかったようだ。ものすごい謙遜だが、それがまたかっこよかったしサマになった。というかファンだから、鶴田さんが何を言ってもされてもかっこいいと思ってしまう(笑)。

 

「うまい歌を歌おうとは思わない。歌おうとしても歌えない。私は人生の哀しみを歌いたい」といつぞやのインタビューに載っていたが、それにも同感。私がなぜこれほど鶴田さんの歌に惹かれるかというと究極はここに尽きる。

 

で、6月16日。

鶴田さんの世界にどっぷり浸ることがせめてもの供養と思いたい。私にできる一番の供養はそれだけだろう。そして取り出したDVDが、「あゝ決戦航空隊」。特攻隊の始祖と言われ、その責任を負って死んでいった大西瀧治郎中将役。大熱演だった。本当に。今でも唖然とするぐらいその熱演ぶりには驚愕する。

 

それにしてもこの映画、皆様、大熱演である。児玉誉士夫役の小林旭さんも淡々とクールな役どころだが、最後は熱演せざるを得ないシーンが用意されている。降伏後も徹底抗戦を訴えた厚木航空隊の小園大佐役の菅原文太さんも大熱演だ。

映画によっては「熱演」という表現が必ずしも褒め言葉ではないが、この映画では妥当だろう。この映画が描く話は、皮肉でもあるが生きるか死ぬかの瀬戸際。肉体的だけではなく、精神的にも瀬戸際。あの戦争って何だったんだ?と、この映画をみてまた色々と考えてしまう。戦争が長引いてついには銃後がなくなったということで、日清、日露戦争などとは全く異なる様相を呈していて、何もかもが悲惨なことは言うまでもない。

 

劇中、大西中将のセリフにもあるが、そもそも、アメリカに物量的に負けてたし勝算の見込みも明確になかった戦争であって、「非合理で始まった戦争」だから、途中で合理的に解決しよう、終わらせようっていうのがそもそもかなり苦しい。特攻作戦についてもどうしても精神論が絡んでくるしどうあがいても合理的解決はできないところが悲しい。大西中将の特攻2000万発言とか、この発言だけを取り上げると訳がわからない恐ろしいことだけど、もう負け続けて末期にまで追い詰められているからそうなってしまう。

最初から歯車が狂ってるから、その後も狂い続けるのは何もおかしな話ではない。

 

やはり政治家や軍人といった権力を持った人たちが、勝算の確たる見込みもなく、つまり恐ろしいことだがなんとなく戦争をおっぱじめて、自分たちで収拾がつかなくなり、結局弱い立場の国民に尻ぬぐいさせたってわけ。天皇陛下だって権力を持っているんだから責任がないとは言えない。むしろかなり責任があるというのがこの映画が訴えているところでもある。となると、結局は、国内で強いものが弱いものを虐めただけじゃないかとも言える。

 

理屈で言えば、始めた人がちゃんと責任をとって終わらせるのが筋なのだが、そんな筋はどこへやらで、のうのうと地下壕の宮中で身の安全は保証された強い人たちが、なかなか戦争を終わらせることができず、その間も弱い人を大勢殺し続けていたというわけでもある。

 

大西瀧治郎中将役は鶴田さんより他に考えられない。なんというかここまで熱量を持って演じることができるものなのかと、もはやこれは演技なのかと思うぐらい、生々しい怨念のようなものがこもったものだった。それが衝撃だった。あまりのたえがたさ、無念さに言葉が出ずに全く瞬きをしない鶴田さんはすごい気迫。

まさに大西中将の特攻で死んでいった部下を思う気持ち、徹底抗戦を唱えるも受け入れられず、降伏したことへの無念さ。そういった口では到底言い表せない心情というものが、鶴田さんに憑依していた。ラストの自決シーンは語種になってよい。これも血と暴力の映画を得意としてきた東映映画の底力だ。

 

ご自身に生々しい戦争体験があるということは大前提だが、だからと言って当時戦争体験のある他のスターが、あそこまで熱量を帯びた演技ができるかってなるとちょっと考えられない。役になり切るという以上に、ご自身の戦争体験による憤り、死んでいった戦友への哀別の念、行き場のない無念さも多分に入っているような、そう感じさせる演技だった。

ただ一人、鶴田さんというスターだけが戦争体験を背負ってその生々しい傷跡を滲ませる演技をすることができた。


数多の東映任侠もので主役を張ってきた鶴田さんの、東映映画最後の主演作と良いだろう。

寂しいけどラストを飾るに相応しい存在感だった。1977年の「やくざ戦争 日本の首領」は単独主演ではなく、佐分利信さんとのダブル主演だからなあ。

どんなに人気があるものにもブームというものがあり、任侠路線は実録路線にとって変われたので、そのような結果となったのだが、それでも約10年も任侠路線が続いたことはやはりすごいと思う。

 

12年ぶりにDVDで見直したが、当時も衝撃を受け2回連続で観たのは覚えている。これで、3回目か。でもさすがに10年以上空くとセリフとかは忘れている。あ、こんなシーンあったなって朧げに思い出しつつ、先の戦争について考え続けるためにも後世に残すべき戦争映画だとつくづく思った。