久し振りに新作映画を映画館で観る。新作鑑賞はちょうど2年ぶり。「鬼滅の刃」以来。

めっきり来なくなってしまった銀座。10年前は銀座の名画座に足繁く通っていた時期があったが、潰れてからは全く足を踏み入れず。今日も映画だけを見て30分ほど町を歩いただけで家に帰ってきた。

 

ほろ苦さと、居た堪れない後ろめたさを残し、静かに幕引きする映画。衝撃を受けて心を激しく揺さぶるとか、お涙頂戴で感傷的になるシーンがあるというわけではないからこそ、余計に終生忘れられないような映画になりそうだ。

 

数少ない、後からじわじわと胸にくる映画なのだろう…。何日後か、それとも何年後かはわからないけど。

 

感動のセリフで、感動のシーンで涙を流したからといって、その映画をずっと覚えているわけもないのが私という人間(笑)。おまけに今まで涙した映画も実は数えるほどしかない。何本あるだろう。まずは「鉄道員(ぽっぽや)」だな。私は高倉健さんファンなんで泣くしかない(笑)。

あとこの十数年に公開されて映画館で見た映画に限って言えば、「愛を読むひと」、「わが母の記」か。どちらも終盤で涙ぐんだシーンがあった。あとはなんだろう…。

 

ま、そういうわけで全ては覚えてないのだから、映画はやはり変に感傷的にならないで、冷静に観たいと思う。あくまで自分の見方だけど。

 

とにかく始まりから終わりまでなんとも言えない静かな映画だ。私が現代のイギリス俳優で最も贔屓にしているアンソニー・ホプキンス目当てで劇場に足を運んだが、正解だった。

この映画の家族の「まとめ役」として機能する役。なんというか、単に威厳があるというわけではなく、人格者なのだ。静謐な佇まいと、文字通り「おじいちゃん」の役をやられている。

体は自由が利かなくなったとぼやくぐらいなのでピンピンなわけではないが、矍鑠として、滑舌も昔と変わらず。

アンソニー・ホプキンスの若い頃も今もルックスはもちろん好きだが、何と言ってもあの声が好きだ。なんとも落ち着いた温かく深みのある優しい声で、まさに魅惑の声なのだ。正直、私にとって海外俳優で一番好きな声だ。

 

ドラマチックというか、劇的なことが起こらないわけではないが、それもこれも子供時代のたった一つの出来事にしかすぎない。何だが達観した見方になってしまうが、人生ってまさに妥協の連続でもある。一度妥協したら全てがダメになるとはわかっていても、所詮小汚いこともしなければいけないのが人生だったりする。誰だって気が進まないことはあるし、やりたくないことはある。でもそれをやらずして自分の目標が果たせない、一生を棒に振るとわかっていたら、そしてまだ子供なのに周囲の大人、まして一番近しい身内・家族の人にそれを諭されたら、どうしようもない。やりきれなさがこの映画の1つのテーマでもある。

 

1980年のニューヨークが舞台。ある中流階級の家族の日々を、小学6年生になった少年ポールの視点から描く。絵を描くのが大好きで、実際うまい。将来は芸術家になると大きな夢を抱いているが、絵を描くのに夢中になりすぎて勉強にはいまいち力が入らない。そんなか、家族に恵まれず貧しい暮らしをしているジョニーという黒人の友達ができて、思いがけず度を過ぎた遊びに手をしてしまい…。

 

ポールは優等生でもなければ不良というわけでもなく、まあどこにでもいる普通の少年。反抗期にはまだ入っていないと言いたいところだが、子供らしい奔放さには溢れており、両親を困らせることしばしば。夕食時にも、母が作った料理を黙って食べることができず、大好きなギョウザのデリバリーを強引に頼み、しかも食べ切りはしないというやんちゃぶりだ。

両親はいたって真面目。子供二人を大学まで進学させたい、そのためには良い環境で勉学させたいと上昇志向は強い。母はPTAで活動、父は真面目な勤め人。子供のことは妻に任せっきりと言うわけではなく、母に代わってきちんと子供を叱る役目を果たしている。時折、母の両親が訪ねてくるが、ポールにとってのおじいちゃんであるアーロンは、家族の誰よりもポールの心の拠り所のような存在だった。

この孫とおじいちゃんの関係は、この映画でもかなり重要なポジションを占めている。

 

一つはただ、そばでみているだけで癒される。まさに好々爺の役を演じるアンソニー・ホプキンス。単純に孫に甘いおじいちゃんという瞬間が、なんとも微笑ましい。

ロケットのおもちゃセットや、立派な絵の具セットを買い与えたり。ポールはうれしがり、きちんとお礼をいう。そして今度のおじいちゃんの誕生日は(プレゼントを)楽しみにしていてと言う。だがおじいちゃんは「何もいらない、ただ会えるだけで幸せだ」という。夕食時に、スパゲッティを「みみず」とよんだことに対する質問から、それにまつわる昔話をしてあげたり。この何気ないやりとりがたまらない。それとは裏腹に、夜寝る間際に、「ずっと一緒にいて」と甘える孫に、「いずれ嫌になる日が来る」と急に冷静にいったりするのが切なくもある。だがこれが現実だと激しく納得した。

 

自分の目の前でポールが悪いことをしても怒鳴ったり、叱ることはせず、その役目は両親に任せる。出過ぎたことはしないところも立場を弁えている感じで、なんとなくホッとするのだ。それでもいざというときは彼を簡単に操縦できる力がある。ユダヤ人差別の中で、苦労をして成功をおさめた苦労人の彼に、愛する孫との心の交流などはたやすいものなのだろう。

 

アーロンは癌に侵されておりまもなく世をさる。ポールにとっては痛手ではあるが、涙に暮れて何もできないぐらいの痛手というわけではない。子供にとって大好きなおじいちゃんが死んでしまったとしても意外にさっぱりとしたものなのだ。ここら辺、思わず自分の経験を振り返ってしまったが、実にリアルなものだった。