3年ぐらい前に観て、もう一回見たいと思いつつ放置していた。細部にまでこだわった演出。丁寧に作られた映画はやっぱりいい。

 

なんといってもラストシーンの衝撃。まさかのまさか。超露骨というか、いやもう喜劇。あそこまでしなくてもとあっけにとられるシーン。えー!って思った人、多いと思う。ま、この奇抜さが監督の狙いなのかも。それまでは多少奇抜な設定と無茶な展開があるとはいえごく普通の展開ですから。

 

何分かに1回は必ず例のお決まりのシーンを用意して、主人公とこの男性がこうなれば、この脇役の女性はきっとこう絡んでくる、で、ここであの男性とこうなって…。と、だいたい予測がつくのがロマンポルノのいいところ。予定調和、安心して観れるジャンルですから。尺が短いので展開を早くしないと結末が見えなくなる。決められた展開を楽しむのが鉄則。ちょいとチープで、いやそれはないやろ!って思わせる奇想天外な設定をもってくるのもこの手の映画。

女優陣は皆綺麗どころを揃えるのかと思いきや、軽井沢夫人の姪のビジュアルは微妙な感じ(笑)。セリフも棒読みで演技レベルも微妙すぎるのもなかなかの落としどころ。この二流感(笑)。それもまたいいと思わせるのが日活ロマンポルノ。

 

そしてなんてたってこの映画、今でも好きな日活ロマンポルノトップ10とかにランキングする根強い人気の映画。日活70周年記念作でもあります。

 

小沼勝監督、いい作品多いんだよなー。奇抜なものも多い。

主演は高田美和様。もうサマつけたくなるぐらいお上品な女性なんで。当時まだ30歳半ば。今の観点でいうとまだまだ若い。匂い立つ色気でお美しいだけでなく、お姫様女優と言われただけあってなんとも言えない気品。軽井沢に昔から住んでいて実家は大財閥という設定の夫人。この役どころは絶対に高田さんでないとだめだ。いくら美しくプロポーション抜群で、色気のある芸達者な女優さんをもってこようとだめ。生まれ持っての気品、育ちの良さがにじみ出る。

いつも穏やかで優しく人の心の痛みがわかるまさに天女のような夫人。でも何よりも寂しそう。なぜなら夫と別居中、かわいい一人息子は全寮制のカトリックの学校に通っており、年に2回しか会えないのだ。他人をだますとか、冷たくするとか、屈折した感情というのは絶対に持ち合わせていないということがたたずまいからにじみ出る。

ゆえに、不器用であるが真っ正直に生きる学生(紫藤)と年の差と身分を超えて、恋に落ちたのだろう。だが隠し事ができない実直そのものの性分ゆえに紫藤の将来をも破滅させてしまった。警察への密告がなけりゃ、どの道、紫藤は不幸な人生だったかもしれないが命までは取られんで済んだだろう。

 

紫藤は、この恋に文字通り命を懸け身を破滅させる。若さゆえの恋慕といえばそれまでだが、夫人の夫(半年に1回軽井沢に帰って普段は愛人と暮らす典型的浮気男)を「殺してやりたい」と本気で憎むそぶりから本気さは伝わってくる。

だが現実問題として、いくら本物の愛だったとしても、所詮権力もコネもカネすらも何も持たない青年に夫人をこの先しばらくの間でも守りきれるような力はなかった。そういう意味で、将来性はなくある瞬間に熱く燃えただけの恋なのだが、それでもあえてその恋に殉ずるとったらいいだろうか。自滅していく青年像は鮮烈だ。

 

一方の夫人は、女性ならではのたくましさとでもいおうか、死ぬことはない。「死にたい」とは言うが、それは紫藤の腕に抱かれている時の夢うつつの声。ただ紫藤が無残に死んでからは、死ぬよりもつらい現実が待っていた。

 

一口に日活ロマンポルノといっても一概には言えないが、ごく普通の視点で言えば深く考えずに見ればいい映画だ。ただの男性諸氏向けの官能映画といえばそれまで。でもこの作品は何かと理屈をこねて、その素晴らしさを言いたくなるような箇所が3つある。

 

まず1つ目。なんといっても普通の大学生が上流社会に食い込もうともがくいじらしさ。これが青春そのもので眩い。

序盤、年上の独身女性が軽井沢に到着したばかりの彼を誘惑する。彼女もまた、この軽井沢の地で成功を求めていて、ひと夏を過ごすためにやってきたのだった。彼と違うのは、もう毎年やってきているということ。いい男性を見つけるためだという。どちらもチャンスさえあれば自分は成功できるという、若さゆえの根拠のない自信、夢見がちな性分、そして漠然とした野望、渇望の塊とでもいおうか。

彼女のアプローチを「俺はそれほど飢えていないよ」とはねつけたものの、間もなくウェイターのバイト中、メインの子豚の丸焼きを床に落とすという大失態を犯しあっけなくクビ(このシーンもよかったなー)。半ば自暴自棄になっていたこともあるだろうが、まもなく偶然同じレストラン再会。スパゲティをつついていて他の客の頭越しに視線を合わせる。そして昼日中の美しい自然の中身体を重ねるシーンとなるのだが、この一連の描き方もさすが。やたらロマンチックなのだ。若く美しい男女がこうなるのに理屈はないと…。突然流れる退廃的かつ感傷的な歌謡曲(?)といい、ことが終わった後の「僕は豚みたいだな」のつぶやきも鮮烈。女は女で「そんな言い方しないで」とあくまで優しい。互いに傷を舐め合うこの無様さこそ青春。

 

その後、若さゆえ怖いもの無しの打算もありつつ彼は軽井沢夫人に近づいてゆく。財閥の一員で幅広い人脈を手に入れているこの女性に気に入られれば、チャンスをつかめる、自分の将来が確約されるという展望があったからこそ。演じる五代高之クンはスポーツマン体型で女性好みの甘さがある。あの抜群のルックスなので芝居のテクニックを駆使する必要などない。

 

2つ目のお気に入りシーンが冒頭。軽井沢の冬を表現するシーンが実に抒情的。花瓶の中の水が、あまりの寒さで凍って真夜中に音を立てて割れる。その勢いで花瓶もひび割れてしまう。その様子を眺める夫人。お手伝いの女の子が水を抜いてなかったことを詫びるが、小言一つ言わずいいのよと優しい。「軽井沢の冬は厳しいのよ」のセリフの後、「でももうすぐ夏が来るわ」と言って見開きの窓をパっと開けると、陽光うららかな眩いばかりの軽井沢の新緑の景色が一気に視界に。そして控えめな文字でタイトルバック。流れる音楽はクラシック。いいねー。そして夫人の好きな音楽はモーツアルトの第二楽章。お手伝いの女の子からそれを教えてもらった紫藤はその曲をかけて夫人を誘惑する。ベタだがロマンチックなのだ。クラシックの名曲と日活ロマンポルノと軽井沢。この三つが見事にマッチ。このトリプル、誰が予想しただろう!?

 

気に入ったシーン3つ目。夫人と紫藤の出会い、なれそめの描写の丁寧さ。この出会いなら惹かれあうよなあという説得力に満ちている。これじゃ好きになってはいけない人を好きになっても仕方ないという説得力。

バイトで失態をしたときに、パーティ主催者である夫人の夫は怒鳴りつけるわ、暴力ふるうわで彼を責めた。料理長もカッとなって彼を殴りまくった。そんな周囲の冷たい仕打ちに対し夫人は彼を無我夢中でかばった。それは夫人の持って生まれた正義感であり人としての嗜みから来たものだったが紫藤にはそれだけに思えなかった。切羽詰まって皆が敵になっているときに初めて会った時から美しいと目を奪われていた女性に優しくされると恋が始まってもおかしくない…。外見の美しさや育ちの良さといった肩書の立派さだけじゃない、心も立派な人だったんだなと思っても仕方ない。

後日、偶然夫人と再会し紫藤は失態を詫びる。夫人は、「主人の無礼をお許しください。あなたを傷つけてしまって申し訳なく思います。」と丁寧な口調。ここらへん、社交辞令というか何気ないセリフだが育ちの良さ、品の良さが出ている。クビになったことを知っていながら、「何もおやめになることはなかったのに」と言い回しを見事に変えるところにも品性が出ている。紫藤は、「あの時奥様がかばってくれたことが嬉しかったんです。むしろご主人に感謝したいくらいです。」とまで言う。打算が出ているすごい殺し文句でもある。

 

で、あとはトントン拍子。一人息子の家庭教師になって、子供もなついて楽しそうだし、本来仕事熱心で気持ちのいい青年。男がぐいぐいその気で責めてくれば、女は女で、心の隙間、しかもとてつもなく大きな隙間どころか傷口を抱えているもんだからそれを受け入れる。旦那は自分を気まぐれに求めることはあっても自分の心は一切求めていないとわかっている。この両方を求め与えてくれる紫藤にのめりこんでも仕方あるまい。ここまでくればなるようにしかならない(笑)。

 

というわけで、最後まで細部にまでわたって楽しませてもらいました。