タイトルだけは知っていたが、いつか見ようと思ってそのままだった。ちょっと堅そうな印象があって敬遠していたところはある。

 

1946年4月に公開って、終戦からまだ1年も経ってない。焼け野原みたいなシーンも出てくる。

この年は、日本映画自体そんなに公開されてないだろうから、そういう意味でも貴重な一本。

 

溝口監督×女優田中絹代なので、面白くないわけがない。戦前戦後の名コンビ。

 

女性映画の名監督というだけあって、女の悲しみや、逞しさ、女の生き様を描かせたらこの方の右に出る人はいないのは周知の事実。

田中絹代さんは、女弁護士役で颯爽とご登場。とにかく役柄が決まっている。映画の最初と最後は弁護士の制服で、毅然とした表情でそれはそれはバチッと決めてくれます。当時の弁護士ってこんな制服+帽子だったんかと感慨。

 

この方の、品性あふれるおっとりしたセリフ回しとお声が、私は特に好きなのだが、純日本人の典型と言っていい美貌も、小柄ですらっとした体つきも、脚線美も、とにかく全てが圧倒的な存在感だ。いつ、どの映画で観てもオーラが半端ない。

 

女学校時代の友人を一生懸命励ますところも、前向きで見ていて気持ちがいい。励まされる友人の地獄のような立場を考えれば、ちょっと明るすぎる感じとセリフであった気もするが、それでもいいと思わせる説得力が田中絹代さんにはある。

 

その友人役が三浦光子さん。

田中さんが指摘する、「生活に負けた」とは実に重い言葉。生活と戦わなければいけないのに負けた、逃げてはいけないのに逃げた…。

 

戦後、夫を軍需工場での事故が発端で発症した病で失い、なんとか初七日を終えたものの、乳飲児と年老いた母を抱え、生活苦に喘ぎ、思わず我が子の行く末を悲観しすぎて、強く力を入れて抱きしめていたところ窒息死させてしまった悲劇の女性。

だいぶ精神も病んで錯乱状態に近かったとはいえ、取り返しのつかないことをしてしまったという認識はあり、ならばいっそ自分も一緒に死のうかと思ったが、母を残しては死にきれず、深夜、田中絹代さん宅に駆け込み寺のごとく押しかけて、全てを告白する。

このシーン、三浦光子さんが感情を爆発させて泣き叫んだり大声出したりして、見ていて何が何でもちょっとウェットすぎると思ってしまったが、これぞ溝口監督の演出なんだろうなと、そこは勝手に納得(笑)。

それにしても長回しなカット。ここまでキマる長回しを多用する監督も少ないだろうね。

 

そして、田中さんはそこはもちろん法に携わる者。自首するよう言って、彼女の無罪を訴えるため、弁護士として法廷にたつ。だが、自分が弁護士になる前に、経済的に世話になった義理の兄(松本克平)がこの嬰児殺しの事件の検事になることに。

 

彼は、戦前、軍閥政権をかさにきて、思想犯として田中さんの元婚約者(徳大寺伸)を検挙し、牢獄に5年もぶち込んだ田中さんにとって曰く付きの男。おかげで元婚約者は過酷な監獄生活が祟って、まともに立って歩けないほど衰弱していた。いくら義理の兄といえ、相当なしこりはある。

 

結局、今回の事件は、露骨に自己保身のために自分を勝たせろと、次の出世も近いんだと言いくるめてくるまあ嫌ーな男なのだが、田中さんは負けない。でも、和解を求める実の姉(桑野通子)の立場の手前もあり、話はややこしくなる…。

あ、天下のミッチーこと、桑野通子さん。うーん、やっぱりお綺麗ですがあまりに薄幸な役というかちょっと重すぎる役でしたね。最後は妹の考えを受け入れて、自分の足で世の中に出ていくと決意するハッピーエンドではあります。

 

ラストの弁護士田中絹代さんの懸命の弁護シーンは白眉。長々と話すセリフも庶民が聞いてスカッとする素晴らしいものだが、この方の独壇場シーンは、本当に迫力がある。お決まりのタイトル通りの結末になだれ込むが、それと同時に、元婚約者は心身とも限界に達して息絶えるという悲しいさだめ。

 

生きていくって、一筋縄ではいかない。辛いことに耐え忍ぶことこそ、生きていくこと…。そうしみじみ骨身に沁みて思わせる、苦々しい展開。

 

結末の描き方も、最後の最後まで露骨に裁判に勝利したところを描いて見せたりしない、省くところはきっちり省いて、あとは観客に想像させる。ここまで描いたら、あとは描かなくてもわかっているからなあ。

 

戦後に関わらず、封建的な考え方を脱して、女性の自立を真っ向から訴える作品は昔から数多く作られたと思うが、本作もその1本かと思う。

 

今見ても、決して古くさくなく、十分通用する考え方があると思う。旦那に徹底的に尽くす、経済的にも旦那に寄っ掛かって、嫁いだ家のしきたりに忠実に従って、これが「女の道」だと信じて何が何でも疑わない。そういう家庭教育を親から受けてきたんだからそりゃそうなるよね。

 

いやもちろん、それで自分がある程度幸せならそれでいいんです。ずっと幸せなら尚更いい。極端な話、不幸じゃなければそれでいい。

 

でも、不運なことに、この人ならと、ずっとついていくと決めた夫が、自己保身の塊で、間違った考えを持っていて、どうみてもおかしな方向に進んでいても、ただ我慢して黙っているのはどうかという問いかけが、この映画にはある。

ま、夫婦は協力者である以上、時には共犯者みたいにもなるの典型。仕事のことには安易に口出しできないような関係性になっている。納得できないことがあっても、ちょっとやそっとのことでは、実家の敷居をまたいだりしない。大抵のことは我慢しろといって実家の親も嫁がせるのが一般。

 

で、子供が生まれたら、今度は「母の道」、「母性」、「母の責任」、「母たるもの」という概念が出て来る。これが時によって一人歩きして、とんでもない美談になることもあるのが怖いところ。そればっかに目が行って、肝心の問題を見ようともせず、法律で裁くのはおかしいってこと。

 

あんまり一つの考え方や、世間一般の常識という名のものに囚われてはいけないということもきっちり考えさせられる映画。