昔の東映映画好きは押さえておくべき作品。いつか観たいと思いつつ10年近くたってしまったがようやく鑑賞。

 

まず、このタイトル。いかにもこの時代の東映らしいというか、お色気、官能を売りの一つにしている。

 

あの水上勉原作佐久間良子さん主演の名作「五番町夕霧楼」に続く、日陰に生きる女性の物語。

同じ薄幸の娼婦が主人公でもその性格は大きく異なる。どちらの女性も世の中に絶望し負けたという点では同じで、映画自体官能的なシーンを入れてくるあたりも似ているが、夕霧楼の夕子は気性は優しく、美しく儚く散る。それが自然な流れであったかのように。

三田佳子さん演ずる娼婦は気性は強い。自分の境遇に反発し、しぶとく生きて生きて生きてみせる。何度か死のうとするが幸か不幸か死にきれない。最後は全く意図した方向と違うふうに運命は進んでいき、挙げ句の果てお縄にかかる。

自分を妾にしようとした男(宮口精二さん)を図らずも毒殺してしまうあたりは、いかに彼女が切羽詰まって生きていたかが伝わってくる。そうなってもおかしくないぐらい追い詰められていたのだ。

 

設定は非常に暗い。鬱になりそうな暗さだ。主人公やそれを取り巻く人々が、誰一人報われないなという予感しかしないからだ。幸せになれる術が一向にみえない状況。どんよりした気持ちで重苦しさを感じながらも目が離せない。

 

それもこれも、本作で実質的に初主演を張った三田さんのなんとも言えない色気と美貌と貫禄の芝居と、三益愛子さんのこの世は所詮カネしか信じられないと言ったふうな海千山千の置き屋のおかみのふてぶてしさによるところが大きい。

この二つの才能が、観るものをぐいぐい救いようのない暗い世界観に引っ張って映画に格を持たせている。

 

話は逸れるが、昔の娯楽映画ファンは、役者さんやスターで見る映画を選んでいた感はあった。

私もこの映画を鑑賞したかった理由は、先に挙げた東映映画ということもあるが、スター三田さんの芝居が観たかったがゆえ。実の所、監督でも題材でもない。

その美しさはこれでもかというほどだ。三益さんに代わって今は廓を取り仕切るおかみ役の三田さんの美しさと貫禄の芝居が光る。

 

やはりお若い頃からそのスター女優ぶり、主役としての華やかさはただものではない。美貌だけで観ているものを平伏させる。昭和はとんでもない美貌の女優さんが多かった。

 

京言葉のイントネーションといい、セリフの言い回し、存在感も圧倒的。後年「極妻」シリーズで主演を張られた時は、気が優しくあまりにお上品なイメージが先行しており、意外なキャスティングと思ったものだが、この作品を観た後では大いに納得。極妻役をするための伏線を目の当たりにした。

 

ヒステリックになったり、睨みを効かせたり、憮然としたり、挙句には病で臥せった三益さんに積年の恨みつらみも込めて、何度も足蹴りするシーンもこなされ驚愕である。そこまでやるのかと意表をつかれた。三益さんの役は、その図太い精神、呼び名はおばあちゃんと親しみがあるが、13歳で廓の世界に飛び込み33歳で引退するその日まで、自分の体だけを武器に稼ぎに稼いだと自負するだけのことはある。引退後は廓の経営を成功させたが、その結果は文字通りカネしか信用しない女の貫禄と薄ら寒さ。そうなるしかなかったのがこの稼業の切なさとでも言うのか。

 

だいたい、廓のおかみは怖いものなしの性根の座った強い女でないとつとまらないのはわかるが、とにかく出演シーン全てそのふてぶてしい貫禄でかっさらっていく。戦後すぐ「母もの映画」というジャンルでひと世代築いただけあり本作でも名演を存分に堪能できる。

 

もちろん、映画の構成も過去と現在を巧みに交錯させ、テンポといい、脚本の緻密な構成力といい、展開が見事。まごうことなき名作だ。今の時代、こういう完成度の高い骨太な映画に出会う確率はかなり低い。

 

舞台は1958年。売春防止法施行をひかえ揺れる、京都は島原のとある廓。

主人公たみこ(三田佳子)は、母が満州で慰安婦をやっていたが、自分を産んだ後相手の男に捨てられたので父のことは知らない。その後すぐ母も死に、みなしごゆえ廓の世界で生きることを強いられる。その類い稀な美貌と器量はカネになると当然おかみ(三益愛子)に目をつけられ、いやでいやで仕方なかった芸妓になるしか道はなく苦難の連続。結局育ての親であるものの、自分の体をカネで縛り、さんざん商売道具としてこき使った雇い主に恨みつらみしか残らない。付き合いは長いが一滴の愛もない。和解する気配すら訪れずおかみはある日布団の上で絶命、世を去る。

 

前半は主人公の不幸な生い立ちとその半生、おかみとのいがみあい憎しみあいの日々が綴られる。

 

そんな状況でも、彼女は決してあきらめず不屈の精神と向上心を持ち続けた。なんとしてでも廓の外に出る。その為にはせめて学問を修め高校を卒業をしないといけないと猛勉強。もがきあがき、必死に外の「まともな世界」で生きたいと願う。通っていた高校の若き教師(梅宮辰夫)と運命的な出会いを果たしてからはなおのこと、この相思相愛の医師の卵の男性と将来一緒になろうと夢見るが、世間の風あたりは思う以上に強い。

 

まもなく、高校生で芸妓商売しているという心ない投書により高校は強制退学。恋人は親と医学部長がまとめた縁談を優先し、たみこの元を去る。

 

最初は気前のいいことを言われほだされくっついたものの、愛したはずの男は学閥のしがらみの中でしか生きられない男ということで手の内をみせられる。インターン中の医師の卵が、医者の世界で生き延び、出世していくにはそうするしかないかったのだろう。医者の道を諦めるというのなら別に手段もあっただろうが、それを変えてまで民子と一緒になる勇気も愛もない。実にリアルな選択。彼のセリフからたみこは所詮売春婦、廓のアカは簡単に落とせないという偏見が読み取れる。たみこは自分の医者という将来を変えてまで手に入れる価値ある女ではないのだ。だからと言って軽い気持ちで付き合っていたわけではない。別れのシーンで発した「今でも君を愛してる。ほんまや。決してええ加減な気持ちで付き合うたことではないいうこと、わかってほしいわ」というセリフは、気休めでもうすなさけでもない真実の言葉だろう。

 

「ふん、よーわかったわ。あんたもやっぱり廓の人やったんね。家という廓、学閥という廓。(中略)…あんたと無理心中するつもりやったけど、やめとくわ。ふん、あほくさ。どっこもかしこも廓のくせして、何でみんな偉そうな顔してんやろ。その廓の中でみんなうじゃうじゃ生きてるくせに。一人前の人間らしい顔せんといてほしいわ。うちはもう廓の外に出たいなんて思わんと、廓の中で居直って生きて見せるわ!」

のセリフは強烈な台詞だ。

 

所詮、この恋人も己の属する廓の世界の掟に負けたという点でたみこと同じ。なんとも哀れな恋に落ちた二人だった。

この後の展開は早い。たみこは可愛がっていた妹分のおなごし(佐々木愛)を責任を持って嫁にやる、そして店を畳んでほぼヤケ気味に2号さんになる準備をし、その後はますます現実逃避でお酒の力に頼るしかなくなる。朝っぱらからお酒に溺れ、冒頭に触れた内縁になる予定の男を毒殺する事件で幕を閉じる。

 

あまりにも悲しく救いようのない結末。廓育ちの女性の悲哀から、生きることそのものの悲哀を考えさせてくれる名作。