松本駅から大糸線の普通列車にのり、最寄りの信濃常盤駅を目指す。車窓には安曇野の田園風景と、北アルプスの雄大な景色が広がる。最初は混雑していた車内も、安曇野観光の玄関となる穂高駅を過ぎた頃には1/4位に乗客が減り、のどかなローカル列車の醍醐味を十分に満喫した。

50分程で到着。西の方へ向かってしばらく歩くと、眼前には北アルプスの前山が広がり、右手の遠方には白馬の山々が見える。景色を楽しみながらの2.5km程は、あっという間で、田んぼの先に目的地が見えてきた。本堂の横に立つ大きないちょうと思われる木が、境内地を守っているかのようであった。

 

 

入口には「慈眼山清水寺」と刻まれた大きな門柱が立ち、その奥に石造りの観音様と、仁科三十一番札所を示す石柱が見える。右手にはご住職様が住まわれる庫裏という言葉は相応しくない普通の住宅があり、左手から奥にかけては墓地が広がっている。

 

 

事前調べによると、宗派は曹洞宗で、ご本尊様は十一面観音。寺伝によると延暦2年に坂上田村麻呂が、ここから2km程離れた山麓にて開創。その後廃れてしまい、隣村の松川村にある観松院(飛鳥時代の銅造弥勒菩薩像を伝え当地では一目置かれる存在)の末寺として、この地に再建されたという。また明治の廃仏毀釈で廃寺へ追い込まれたが、村人の努力によって護持がはかられ、昭和17年にようやく寺格を復活したという。

 

 

お参りを済ませ御朱印をお願いする。厳格な雰囲気漂うご住職様で、厳しい修行を積まれたのかなと勝手に想像。御朱印を受け取る際に京都清水寺との縁があるのか聞いたところ、古い時期のことは分からないが、現在は全国の「清水寺」の集まりで開催されサミットには参加しているとこことであった。寺名の由来を得ることはできなかったが、山並みを眺めると、清い水が流れ出る地に創建された寺、というのが腑に落ちる気がした。