こちらは現在「清水寺」とは呼ばれていない。しかし奈良時代の僧玄昉が、この地に地蔵菩薩を本尊として清水寺を創建した地である。その後廃絶したが、鎌倉期に叡尊上人によって再興、以後は福智院と称したということで、清水寺の遺鉢を受けた寺とされる。

 

 

 前回まで北九州編を書いてきたが、ここはその続き。というのも福岡県みやま市の清水寺に行った後、門司港から夜行のフェリーに乗って大阪南港へ到着し向かったものである。奈良へは久しぶりに行ったが、最寄りとなる近鉄奈良駅や、興福寺、猿沢池、奈良町、元興寺の風景には覚えがあり懐かしさを感じる。

 

 

 こう書けば奈良好きの方には分かるかも知れないが、目的地は駅から南東方向にあり徒歩15分程で到達する。大通りから狭い路地道へ入った所にあり、昔からの民家に囲まれている。門をくぐり境内へ入ると、真正面にすぐ本堂があり、他に小さな小祠がいくつかあるのみでそれほど広くない。しかし本堂は鎌倉期の国重文と看板にあり、さすが古都だと思わされてしまう。

 

 

 

 本堂へ入れて頂けるとのことなので、拝観料を納め堂内へ。中へ入ると天井いっぱいまでの大きなお地蔵様がドーンと鎮座されており、そのスケール感に圧倒される。またよく目を凝らしてみると、光背には数多の仏様がびっしりと配されており、これまた迫力たっぷりである。もらったパンフレットによると、このお地蔵様は鎌倉期の作で国重文。総高は6.6m、光背は千体地蔵などの化仏を彫ったもので、地蔵像としての例はこれが唯一とのこと。旧清水寺という動機で訪れた次第であったが、思いがけずありがたい仏様に巡り合うことができた。