長崎に来たからには軍艦島へ是非とも行ってみたかった。上陸は船が予約でいっぱいで叶わなかったが、陸からでも見たいと路線バスに1時間も乗った野母崎まで行ってみると、間近にまさしく軍艦の小島が望め、感動・大満足であった。軍艦島にここでは触れないが、車中で実感したのは、やっぱり長崎は丘の街・坂の街ということで、山の上まで建物がひしめく。また多島美は、海無し県に住む私にとって大変素晴らしいものであった。

 

 

さて前置きが長くなったが、当寺も市街地を望む山の中腹にある。JR長崎駅から路面電車に15分程乗った崇福寺駅が最寄り駅。ここから10分弱山の方へ向かった先が目的地である。

 

 

入口まで来ると境内へ向かって長い石段が延びており、登り切った所には本州ではあまり見ないアーチ型の石門がある。これをくぐった左側にはすぐ本堂があるが、傾斜地に建てられていることもあって境内は狭く、写真を撮ろうとしても建物からの距離をとれないので全体が収まらない。案内板によると、本堂は唐の商人が妻の菩提を弔うために寄進したとあり、内部の天井がアーチ型になっていたり(黄檗天井)、柱を支える石がソロバン玉のようになっていたりと、異国の様式が取り入れられているという。

 

 

 

 

堂内へ入れて頂きお参りする。ご本尊様(秘仏)は京都清水寺と同じく、脇手の一双を頭上で組む清水寺形の千手観音とのこと。というのも当山は、京都清水寺光乗院の僧慶順が、京都清水寺内院にあった千手観音様を携えて各地へ巡錫に出、長崎の地まで来た際、奉行の求めに応じて創建したと言われる。正真正銘、京都との縁が確かな清水寺で、院号も字こそ違うが音は同じである。

 

 

現在は真言宗であり、京都と宗派は違う。御朱印を頂いた際に聞いてみたところ、明治期に京都との縁を離れたからだとのこと。しかし近年は、全国清水寺ネットワーク会議が当山で開かれるなど、お付き合いがあるとのことで、境内にある大師堂には、京都清水寺のトップである森貫主の揮毫による大きな書が飾られていた。

 

 

 

さて本堂では赤ちゃんを抱いたご家族が複数組、祈願を受けられていた。入口の看板には、数多く書かれた祈願の案内項目の中で、安産祈願と子授祈願が赤字で書かれてあった。これは京都清水寺と同じく祈願寺として地元の方々に信奉されてきたということだろう。隣にある崇福寺とは違って、観光客が多く来る派手さはないが、地元の方々から篤く進歩されているからこそ、「きよみずさん」として親しまれているのだと実感した。