日豊本線の南小倉駅から徒歩10分程。住宅街の一角に鬱蒼とした森と小さな池が見える。この池には金剛水と呼ばれる湧水が出ていて、鳥居があって弁天様を祀っているようだ。寺号は京都清水寺を勧請したからと伝わるが、この清い水とも無関係とは思えない。
 
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お寺はここから少し小高い場所にあって、石段を登る。途中には百度石があり、願を掛けるためにこの急な石段を往復したのであろう。他のも行き倒れの旅人を弔うためか、「旅賓之墓」という立派な石塔もある。
 
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この石段を登りつめると本堂の右脇へ出る。本来の参道はこちらでないのか、はたまた本堂の向きを変えたのだろうかと推察する。境内は森の中にあると言ったイメージがぴったりで、水道施設かと見違えるコンクリート造の納骨堂が目に留まった。お参り後、境内を見学したり写真を撮ったりとウロウロ。そうした所、お大黒様が納骨堂へお花を手向けに出ていらしたので、お決まりの御朱印を所望。しかしこちらは札所になっていないので扱っていないとのこと。しかし私が遠方から来たことが分かると、せっかくだからと新聞記事のコピーを下さりお話を伺うことができた。
 
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江戸時代に、小倉城の鬼門に当たるこの地に祈祷寺として、藩主の寄進により堂宇を建立し寺禄を賜ったという。明治を迎え藩が取り潰しとなると、上級藩士だった数家しか檀家とならなかったが、厄除・安産子安・学業成就などの祈願を行い、清水の観音さんとして地域から親しまれ、護持がはかられてきたらしい。その観音さんは千手観音像と頂いた新聞記事にかいてあったので、清水寺形ですかとお聞きしたところそうだとお答え頂き、本堂内に入れて下さり、ご本尊様は秘仏なのでと写真を見せて下さった。
 
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この他にもパワースポットとして色々な方が来ること、作家の松本清張ゆかりの地であることなどお聞きすることができた。朝のお忙しい時間帯にも関わらず、ご丁寧に対応してくださったことに感謝を申し上げ、次の清水寺へ向かった。(令和元年5月来訪)