こちらは清水寺跡と呼ぶのが正しい。昭和49年の火災で堂宇を失ってしまい、現在は清水寺公園として管理されている。しかしかつて周囲一帯は、栗原九十九坊と呼ばれたほど多くの寺堂が立ち並び繁栄していた。その内の最後まで残っていた一坊が当山だと言われる。
2013年初冬、JR東海道線の垂井駅から5kmを歩く。西側には関ヶ原一帯へとつながる山地がつらなり、愛知県の中心地へ向かっては濃尾平野が広がる。当山はその接点にあたる山裾に立地し、鉱山や貴金属事業者の信仰が篤い美濃国一之宮「南宮大社」の南方約4kmにある。道中には水田が広がり、その中に東海道新幹線が通っている。頻繁に新幹線が走り去る音がする以外はのどかなもので、すずめの群れは落ち穂をついばんでいるのだろうか。約1時間で目的地付近まで来ると看板が出ており、迷うことなく到達できた。

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入口には「清水寺公園」と書かれた大きな看板が立っており、跡地だがきれいに整備されている。まずフェンスの向こうに、小堂の中に置かれたお地蔵様が見える。焼けなかった地蔵堂を再興したものという。そこから右手へ進むと謂れが書かれた看板があり、その下に黒焦げになった板が下げられているが、これは火災に遭った山号碑とのことで、うっすら字が読める。その左手には石段があり登り切った先の両側には、これまた焼け焦げた木柱が立っているが、門の名残と思われる。石段を登った先には、鐘楼の基壇を再利用した東屋があり、棟柱には平成5年に建てたとある。また池の中には御嶽神社を祀った小祠があり、反対側には再興された弘法大使様の石造もある。近くにある記念碑には「清水寺保存会」と刻まれ、寄進者のご芳名が列挙されており、この方々により整備の手が入れられてきたことが分かった。

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火災に遭ってしまったとは言え信仰心まで消滅することはなく、半世紀近くも篤い気持ちを寄せていることに感動を覚えた。今後も末永く護持されていくことを願い、簡易な賽銭箱ではあったが多めに気持ちを入れ、寺跡を後にした。

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