2019年2月、中央本線の普通列車に乗る。冬晴れの1日で車窓からは富士山が遠望でき、沿線にはブドウや桃の果樹畑が広がる。山梨に来たなぁとしみじみ感じる。


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最寄りの東山梨駅は駅舎のない簡素なもの。駅前の自販機でペットのお茶を買ってから、3.5km程先の清水寺を目指す。まず小学校を、次に中学校を通り過ぎ、大通りに出てから笛吹川を渡ると、窪八幡神社の鳥居が見える。脇にある案内板には、戦国武将の武田信虎により建てられたとあるから、500年近くが経過しているものらしい。

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そんな古い鳥居が残るものかと疑問に感じつつも神社へ。神社は武田信虎・信玄父子の尊崇が篤かったとのことで、当時の社殿や古い文化財が多く伝わる。また境内右手には鐘楼が建っており、神仏習合当時の雰囲気も感じることが出来る。私が目的とした清水寺は、この神社の別当寺であった普賢寺の末寺にあたり、廃仏毀釈の際にはゆかりの品々を避難させたというので無関係ではない。庶民にとって神社と寺にはそれ程隔たりがなく、両方とも有り難い存在であったことが実感できる。

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 参拝後、神社周辺にある神宮寺や陣屋跡等に寄りみちし目的地へ。案内看板が無く入口が分かり難くかったので、スマホのナビで確認。右の山手へと延びる細道を300m程進むと、石段の上に立つ仁王門と寺号碑が見えた。仁王門は茅葺きの上をトタンで覆ったものでやや傷みが目立つが、阿吽両像が睨みをきかせている。これをくぐると正面に本堂があり、左手に渡り廊下でつながった庫裏がある。

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本堂の屋根は真新しく、最近手を入れたようである。解説板も真新しいお洒落な配色のもので、これによるとご本尊様は千手観音像、平安時代の古仏である。また武田信玄が上記の普賢寺に納めた勝軍地蔵があり、県指定の釈迦如来像もありと、武田家の庇護が篤かったので地元も特に大切し、古いものが今日に伝わったのではないかと想像される。

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 御朱印はバス停前にあるタバコ屋を訪ねて欲しいとの案内が渡り廊下に掲げられているが、ここは甲斐国三十三観音の第19番札所。留守が多いのでと書いてあるが、住職は先程行った神宮寺さんが兼ねているらしい。ゴム印方式の御朱印であったが、それでも参拝の記念になる。ありがたく頂戴した。

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 さて東山梨駅にたどり着き、電車に乗ってから窪八幡神社の鳥居をスマホで調べたところ、最古の木造鳥居(両部鳥居)と出てきた。特に保護している状況でもないので扱いがちょっと雑では感じたが、下手に周知すると逆効果となるご時世でもある。ただ個人的には、思いがけず良いものを見られたという満足感が増した。