2014年11月末、JR湖西線安曇川駅から路線バスに15分程乗り、広瀬小学校前バス停にて下車(広瀬小学校は2016年に廃校)。ここから約1.5kmを歩く。道中は刈り取りが終わった水田風景で、周囲の山は色付いている。この時期、京都清水寺は特に多くの観光客で賑わっているだろうが、隣県の当清水寺に人影は無かった。


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 水田を抜けると古賀という集落に到る。イメージ 3民家の間の細い道を進んでいくと、その一角に「曹洞宗清水寺」と掘られた石柱が見えた。そこを右へ折れ、参道を50m程進んだ先に四脚門があり、「金剛山清水寺」と書かれた表札が掲げられている。目的地に到着である。
 門をくぐると、正面に本堂があり、右側に付属して庫裏がある。まずはお参りをと本堂へ進むが賽銭箱が見当たらない。賽銭泥棒対策だろうと思うが、思いを伝える手段を絶たれたようでがっかりである。まあここのご本尊は阿弥陀様だから、お念仏を唱えれば伝わるということかと思い直し、手を合わせた。

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なお訪問前のネット調べでは、当山裏手の山を清水山と呼び、ここ以外にもかつては清水寺があったと書かれていた。それらが同一の由来につながるものなのか否かは分からなかったが、境内右手には五輪塔等の石造物がひとまとめにされており、中世の雰囲気が漂ってくる。比叡山からもそれ程遠くない地であり、北陸へと向かう街道筋にも近い場所である。今は静かな地であるが、かつては政治、戦、宗教、それをめぐる様々な動きが目まぐるしく行き来していたのだろうと想像した。