姫路駅から播但線に乗る。進むにつれ車窓は田舎ののどかな風景へと変わるが、寺前駅で1両編成のディーゼルカーに乗り換えると、のどかに寂しさが加わる。大きなエンジン音の割にスピードが上がらない年代物の車両は、川に沿って右に左にカーブしながら、山間部の小さな集落を望む最寄りの長谷駅に到着した。
 こちらの清水寺、全国清水寺ネットワーク会議のリストに掲載されておらず、ネットで調べても場所が不明瞭だったため、事前に町の観光協会へ問い合わせたところ、大変ありがたいことに住宅地図と関連資料を送って下さった。それによると、飛鳥時代にこの地を治めた牧夫長者という豪族が、狩猟の途中で家臣の企てにより殺害されそうになった際、つれていた犬二匹に命を助けられた。何年か過ぎて犬が死んだ際、犬塚に葬り救世観音を堂に祀ってその霊を慰め、これが機となって清水寺が建立されたとの言い伝えがあるという。駅から寺への途中で川を渡るが、今でもそこに犬塚がある。目的の清水寺はさらに進み、長谷小学校を通り過ぎ、駅から15分程で到着する。
 そこには砕石を敷いたばかりと思われる平場があり、真新しい小さな建物が1つだけあった。上記の資料には本堂の写真が掲載されているので、最近になって本堂を取り壊し、仏様だけを祀るようにしたのだろうと思っていると、地元の方が掃除をしていたので聞いてみる。無住になり建物も傷んできたが修復が叶わないので、致し方なくしたという。私の言葉づかいに違和感をもったのか、他県から来たと告げると、せっかくだからと小堂の鍵を開け中へ入れて下さった。ご本尊は観音様で、以前は曹洞宗であったとのこと。しっかりとお参りさせて頂き、いつもより多くお賽銭を入れた。
  本堂の修復はできなかったとは言え、取り壊し、整地、小堂建立だけでもかなりの費用が要るはずであり、地元の方々の拠出もそれなりの金額であったと想像される。お寺を大切に思う信仰の深さを感じ、得体の知れない訪問者を快く中へ入れて下さったことに謝意を伝え、寺を後にした。(201312月訪問)
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