怒涛のような11月最終週から12月1日の試験が終了し、やっと落ち着いて生活する環境となりました。

前回は物理空間への実装化について書きました。
 

情報空間の書き換えについては、情報空間を書き換えさすれば全て万事上手くいくというような事はありえず、

正確には情報空間を書き換えることによって

自分自身に行動変容が生じ、

スコトーマが外れ、

目に入る情報、耳に入る情報が変容し、

行動の質の変容と行動量が増えることによって

縁起を結ぶ人にも変化が生じ、

その結果物理空間に変化が起きる。

ただし、その過程で目に入る情報、耳に入る情報が変容しても、

その情報を咀嚼するための基礎となるナレッジセット=情報空間に包摂され、情報空間の下層空間でもあり相対的に抽象度が低い制約がある物理空間における知識がないと物理空間における実装化=インプリメンテーションはかなわないという風に理解しています。

換言すると物理空間においての地に足がついた努力が絶対に必要ですよと解釈しています。

 

そんな解釈をしている私が西きほこさんの「多次元数秘術」のセッションを受けた事は11月11日の投稿「西きほこ」さんの多次元数秘術のセッションを受けて その1で書いた通りです。

 

私はセッションを受ける前提として占いというものは、基本的にはコールドリーディングの技術を利用し、クライアントから情報を引き出した上で行うカウンセリングの中の一手法という認識でいたことは記述の通りです。

現在でもその認識に大きな変化はありません。

 

そんな私が西きほこさんのセッションを受ける前には、前提として以下の情報発信を踏まえた上でセッションを受けました。

 

情報空間という概念の始祖は苫米地博士と日本〇〇〇倶楽部のT氏だと私は理解していますが、苫米地博士は2012年5月15日に発行されたメンタリストDaiGoとの共著である
DaiGoメンタリズム・Dr.苫米地”脱洗脳」/ヒカルランド出版の中で明確かつ辛辣に占いを否定しています。

 

同著から主だった箇所を抜粋します。

占いについての記載は同著のP214~P237に記載されています。

尚、あくまでこれは書籍からの抜粋であって決して私の意見・見解ではないという事は予め明記させて頂きます。

 

以下抜粋です。

1)P215

苫米地:占いの学校のカリキュラムにカウンセリングがあるんだ。

占いの学校のカリキュラムを見てごらん。

必ずカウンセリングと書いてあるから。

でもそれ占いじゃないんじゃないか(笑)

占いが当たるんだったら、カウンセリングは要らないだろう。

占いは当たりませんと言っているようなもんじゃないか。

苫米地:最初からカウンセリングだと認めているんだよ。

占いが何のためにあるかと言えば、社会的な意義はカウンセリング以外ないと思うんだ。

 

P216

苫米地:占い師はうそつきなんだ。だってうそつきじゃなければ占い師をやるわけがない。

P217

苫米地:電車で通って、自分のビルじゃなくて他人のビルの軒先でやってるし。

「おまえ貧乏じゃん」でしょう。

占い師が貧乏ということは当たらないと言っているのと同じわけだ

苫米地:全くその通りだよ。占い師は100%うそつきなんだ。普通はうそつきは職業にしない。

うそつきを堂々と職業にしていい職業は限られていて、そのひとつが占い。

P221

苫米地:すべては権威催眠を利用しているわけだ。手相をはじめ四柱推命や占星術だったらそれぞれの分野にこんなすごい知識がありますよという「権威」を使っている。

中略 それをわざわざ細分化して、それぞれに大量のテキストを作り込んでいったのは、全部権威催眠なんだ。宗教と同じ。

P222

苫米地:それはコンピュータを使わなきゃいけないくらいに占星術には知識があるんだという権威催眠のひとつ

P231

DaiGo:星占いで星の重力の影響がという人がいますけれど、重力と言われても・・・。(笑)

苫米地:星の重力、来ないから(笑)せいぜい月くらいしか来ない。月を星と言えば別だけどあまり月のことを星と言わない。

DaiGo:太陽系の話をよく引き合いに出す人もいます。

苫米地:来ない、来ない。

P243

苫米地:一般大衆がはまるのはそう仕掛けられているからでしょう。

占いが流行ってる国は実は危ない国なんだ。

要するに自分では選択することができないから。

自己責任で自分が正しいというものを選択し、その結果は自己責任でとることができない人たちをわざわざ国がつくっているということになる。

だから重要な政策はお上に選んでもらう。

私のあしたは占い師に決めてもらう、全部自分の人生を他人に決めてもらうのがうれしい人たちだ。

自己責任の放棄だ。

すなわち奴隷をつくる文化を社会的に埋め込んでいる世界が占い師を許容しているといえる。

占い師がたくさんいる社会は奴隷社会だと思った方がいい。

日本は国家を挙げてテレビで、つまり公共放送まで占いをやっているんだから奴隷社会だ。

P244

苫米地:だから日本は未開の奴隷カルト国家。

占い師がこの世にいなくなるまでは奴隷国家。

私は占い師という職業を一切認めない。

占いは社会的犯罪。

 

ちょっと抜粋しただけでも以上の通りで、かなり辛辣にバッサリと完全否定していらっしゃるというのが私の認識です。

尚、上記はあくまで関連する箇所を抜粋しただけで、意図的に切り取ったわけでは決してありません。

苫米地博士の見解の全体像を詳しく内容を把握したい方は同著を購入して読んでみて下さい。

(私の読後の理解・認識が間違っている可能性は十分あります。加えて上記の抜粋はあくまで書籍にこのように書かれていたという事実の紹介であって、私の意見でも見解でもない事は改めて再度明記させて頂きます)

 

ご紹介した趣旨は、盲目的にセッションを受けたのではなく、上記のような否定的見解・意見も把握し、コールドリーディングに関する知識も有し、諸説を理解した上でセッションを受ける意思決定をしたということをご案内することにあります。

 

基本的に占いを受ける方は、自分自身のどこかに第三者に意思決定を委ねたいという依存心が無いだろうかということを第三者的な視点で自分を俯瞰した上で受けないと、セッションの内容を自分で咀嚼して、役立つ箇所を日々の生活に利用するというような主体性を失い、占い師の方に依存し、苫米地博士が主張されるように自分の人生を自分で選択し結果に責任を持つという自責思考を失い、場合によっては占いの通りに動いたのに上手くいかなかったというような他責思考に陥るリスクがあると思うので、講座を選定する際のステップ同様に西きほこさんのセッションを受けるまでのステップを紹介させて頂いた次第です。

 

苫米地博士は、仏教は輪廻転生を否定していて、ご自身の見解も同様だということを様々な書籍で書かれています。

(苫米地博士の認識について、私は上記のように認識していますが、私のミスアンダースタンドの可能性もあります。)

否定理由の中で輪廻転生は、魂の階層性を肯定する考え方につながり、それは差別や選民思想につながるといったこともおっしゃっていると理解しています。

日本は世界の中心である、日本は世界の雛形である、ユダヤは選ばれた民族だ等々も同類の思想だと複数の書籍で述べられているとも理解しています。

 

この輪廻転生や占いに関する苫米地博士の見解に対する私のスタンスは

1)輪廻転生の有無は私には分からないし、どちらでも良い。

(M先生からもどっちでもよいというお言葉を良く聞きますよね)

なぜなら輪廻転生があろうがなかろうが、私にできることもなければマネジメントすることも証明することも介入することもできないことであるから。

自分が介入もアプローチできず、証明もできないことに思い煩うのは完全な時間の無駄であり、かつ分からない以上、意見は意見として聞いた上で自分が関与できることに集中する方がよい。

但しよくYou Tube等で目にする日本は世界の中心云々、日本は世界のひな型云々の類の話は選民思想に直結するリスクがあるという意見には100%首肯します。

この手の話しは、自分は特別な存在だと思いたい人間の持つ本性に合致するので、いつの時代もどの国でも一定の需要があるものではありますが・・・

2)占星術しかり、四柱推命しかり、苫米地博士は権威催眠の一種というご意見をお持ちだということを理解した上で、私は今回受けた多次元数秘術しかり占星術しかり四柱推命しかり、まったくの出鱈目だったとした場合、それぞれの占いの理論構築やコンテキストの作成にかかる労力はちょっと想像もできない膨大なレベルであると思います。

私自身は膨大な労力をかけてまで出鱈目な理論の構築をする意欲が湧くことは考えずらく、少なくとも各種占いの理論構築者は自分が正しいと考えた内容を言語化していると考えています。

(あくまで私個人の意見は)

ただ、構築された内容・理論が真実なのか否かは私には分かりませんし、分かるための手段もありません。

理論構築の背景が出鱈目なのか否かは少なくとも私には分からない以上、自分にとって有益か否かはセッションを受けてから判断すればいいだけのことである。

但しセッションが法外な価格体系であったり、セッションがフロントエンドで、上位のセッションなり講座に誘導するのが明らかであれば最初から受けなければ良いだけ、このような考えでいます。

3)占い師や占い結果に依存して自分の行動に不自然な制約を設けない

例:風水等の鑑定を受けた方が真っ当に考えて日常生活が成立しないような間取りや意味不明な置物を置くなどはその典型例だと個人的には考えています。

あくまで自分で主体的にセッションの内容を咀嚼し、有益だと自分が判断しかつセッション内容を取り入れることでデメリットが生じないという内容を実生活に取り入れれば良いだけで、それ以上でもそれ以下でもないと考えています。

 

以上のような思考とプロセスを経て西きほこさんのセッションを受けた訳ですが、結論、セッションは少なくとも私にとってはとてもとても有意義な体験となりました。

1)実際にお会いして感じた西きほこさんの人間性

2)人の話しを聴く姿勢

に触れて自分自身の姿勢を反芻するいい機会を頂けたなと感じています。

セッションの内容は個人的な内容を含みますし、内容が当たっている当たっていない等はセッションを受けた後の今日現在でもどうでもいいことだと考えていますので言及は控えます。

ただしコールドリーディング・ホットリーディングの書籍も相応に読み、上述した苫米地博士の書籍にも紹介されていた「サイキックマフィア」も読んだ上でセッションを受けた私でもかなりドキッとする言及があった事は事実です。

とは言え、ことさらそれを強調することはこの投稿をお読み下さった方をミスリーディングする可能性があるので、あくまでドキッとする言及内容があったことの紹介のみにとどめておきます。

 

ただ全てのセッションを受けた上でのあくまで私個人の感想は

1)指摘下さった内容については首肯できる内容が大半であった

2)指摘頂いた課題とその対応策・対応方法・対応姿勢(中々適当な言葉が思い浮かばなかったので3単語記載しました)は現実的で、なおかつご提示いただいた対応を行っても実生活に何のデメリットも生じないポジティブな内容であった

3)何よりセッションを受けた後の心境がとても良かった(抽象的な表現ですが)

 

また、セッションを受けて、部下や仕事で関連する方々との接し方について自分自身を反芻することができたことも良かったと感じています。

 

最後になりますが、苫米地博士の書籍における見解については私が誤読している可能性は充分にあります。

なので最終的にはこの投稿をお読み下さった方で疑問を持たれた方は直接書籍にあたられる事をお薦めします。