◆猪瀬直樹『空気と戦争』を読む(その2)



★要旨



・日米戦争が始まったのは、1941年である。



・日中戦争が泥沼化していても、

撤退の選択は、ゼロではない。



・アメリカとの交渉も臥薪嘗胆で譲歩すれば、

原田少佐の述べるような、

「満州は駄目だが、朝鮮と台湾はうまくいけば残るよ」

という形もあり得た。



・昭和16年(1941)に、

アメリカと戦争を始めることに、

100%の必然性があったとは限らない、

と考えることも重要である。



・近衛首相も東條陸相も、

「大政治家というものは、正しいと自分で信じた場合、

国民など黙らして、その方向へ引っ張っていく」

という強いリーダーシップは、発揮しなかった。



・私は、昭和57年(1982)に、

鈴木貞一に取材した。

当時93歳。

鷹のような鋭い眼で、若い僕を見つめた。



・鈴木貞一は、元陸軍中将。

近衛内閣、東條内閣で、企画院総裁をつとめた後、

戦時中は貴族院議員や

労組を統制する大日本産業報国会の会長などをつとめた。



・戦後、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左ェ門の

シンクタンク「産業計画会議」の委員となった。



・数字を誤魔化すと、国が滅びる。



・政治家の「腕力」と官僚の作った「統計」で

決まってきたものが、

正しい事実と数字で覆すことができる。



・人との出会いは、不思議である。

たまたま未知の人物を訪ねると、

そこに一枚、歴史を開く扉があった。



・きっとそんな扉が、無数に存在するのだろう。



・たった一つの数字、

あるいはひとつの決断が世界を変える、

と僕は知ったのだった。



・1997年に、

小泉純一郎という代議士に出会った。



・その人物が総理大臣になると

予想した者は皆無だった。

運命とは、ほんとうに分からないものだ。



・2006年、退任直前の小泉総理は、

感慨深げに言った。

「道路公団民営化が、本当にできるとは思わなかった」



・ほっとひと息ついたところで、

作家の大先輩の石原慎太郎・東京都知事から

「つぎの戦場があるぞ」

と呼ばれた。



★コメント

調べまくることの凄みを感じた。

学び取りたい。