◆原田武夫『日本叩きを封殺せよ。伊東巳代治のメディア戦略』を読む



副題→「情報官僚・伊東巳代治のメディア戦略」



★要旨



・今から110年余前の1895年。

当時、世界最大の通信社であったロイターを

「買収」した日本人がいた。



・男の名は、伊東巳代治(みよじ)。

第二次伊藤博文内閣で、書記官長をつとめていた。

内閣書記官長は、今でいえば内閣官房長官にあたり、

内閣の支出する機密金を預かる金庫番である。



・伊東巳代治は、腕白な少年として育った。

とりわけ敏捷さと記憶力の良さは、

早くから周囲を驚かせた。



・記憶力の良さと意志の強さは、

語学の習得においてもっとも重要な前提条件である。



・フルベッキは、

長崎の英語伝習所を皮切りに、

熱心に英語教育を始めた。

当時8歳の伊東巳代治が、その門を叩いた。

これが、巳代治と外国との出会いである。

そして後に、彼が明治政府屈指の英語遣いとなる道が

開けた瞬間でもある。



・17歳になった巳代治は、

法律家で新聞社の経営をしていたクリュッチリーの

もとで働きだした。



・巳代治の仕事の大半は、

日本語の新聞の翻訳と、

弁護士でもあったクリュッチリー社長の

法律実務を手伝うことであった。



・この時代、クリュッチリーから

欧米の法律について説明を受けたことが

のちの巳代治の人生にとって重要な意味を持つ。

クリュッチリーは巳代治に法律書を買い与え、

知識を授けた。



・兵庫県令の神田孝平は、伊東巳代治と出会い、

その能力にほれ込み、スカウトした。

巳代治は断ったが、神田は諦めなかった。



・神田は、一度は巳代治と別れ、

兵庫県庁へ戻ったが、

どうにもこうにも巳代治青年のことが忘れられない。

卓抜な英語能力。

そしてクリューチリー仕込みの英米法の知識。



・やがて伊東巳代治は、兵庫県官吏となった。



・行政官に不可欠な能力が、「文章能力」である。

神田は、巳代治に漢籍を教え、

文章能力を磨くことでその能力をいっそう引き出そうとした。

寸暇を惜しんで漢学を教え、

巳代治の文章を添削し続けた。



・巳代治は一介の「英語屋」から脱皮し、

官僚として必要な能力を急速に吸収していった。



・巳代治の庇護者である伊藤博文の足跡を

追っていけば追っていくほど、

そのリーダーシップの強さと深さ、

さらにはそれを裏打ちする感性と知性に圧倒される。



・議会政治は議会内にとどまるものではなく、

常に「議会外」でのメディアによる

「場外乱闘」こそ重要で、

また時に決定的なのである。



・議会という枠が決められたからこそ、

議会内で求められる妥協を少しでも有利な方向へ導こうと、

議会外における情報戦は熾烈なものになってくる。



・伊東巳代治は、

メディアの怖さを人一倍知っていた。

記者とあえて距離をとったように装いながら、

効果的な裏工作を行えるよう、

常に臨戦態勢を整えていた。



★コメント

やはり過去からいろいろ学ぶと、

さまざまなことが見えてくる。

 

 

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