◆白石仁章『戦争と諜報外交。杉原千畝たちの時代』を読み解く(その2)




★要旨



・ソ連を相手にした一大交渉。



・杉原がハルビン総領事館に勤務していた1931年、

関東軍の謀略により満州事変が起こった。



・「満鉄」とはそもそも、

帝政ロシアが清国と共同経営で、

満州の大地に巨大なT字を描くように敷設した東清鉄道、

そのT字の縦棒部分を日露戦争の勝利により譲渡されたものである。



・東清鉄道の残りの部分は、

ロシアがソ連に変わり、

清国が中華民国に変わっても両国の共同経営が続いた。

満州国の建国により、ソ連と満州国の共同経営となったが、

何とも落ち着きが悪い。



・この鉄道問題、「北満鉄道」をめぐる対ソ連交渉は、

杉原にとっておのれの能力を発揮する一大好機であった。



・杉原が満州国に移籍した後、

ソ連は日本ないしは満州国に、「北満鉄道」を譲渡したいと申し出てきたので、

日本政府は、満州国が買い取ることこそ適当と考えた。



・杉原は、この檜舞台で見事な活躍を示した。



・ソ連が提示してきた金額、6億2500万円に対して、

「北満鉄道」の線路が老朽化している実態、

買収交渉をしつつもソ連側が北満鉄道の列車を

密かにソ連国内に引き揚げている事実などを次々と明らかにし、

ソ連側に突き付け彼らを狼狽させた。



・その結果、最終的に1億4000万円で「北満鉄道」は、

満州国に売られたのであった。

最初の申し出価格のおよそ5分の1まで値下げさせたのであるから、

杉原の大勝利である。



・このとき杉原が用いた手法は、

協力者たちから情報を集めることであった。

留学生としてハルビンに到着して以来、杉原はハルビン、

そして満州に住むロシア人と交流し、彼らの信頼を勝ち得ていた。



・彼らロシア人たちの多くは、ロシア革命を逃れてきた、

ソ連政権を憎むロシア人、

革命の色「赤」に対して白系露人と呼ばれる人々であった。

それゆえに、危険を起こしても杉原に協力したのであった。



・杉原による情報網形成の秘訣は、

「協力」関係を築くことにあったと思われる。



・「北満鉄道譲渡交渉」の場合には、

政治的な立場が不安定な白系露人と接触し、

彼らが憎むソ連に一泡吹かせるために協力関係を構築した。



・のちに、リトアニアやドイツ領では、

ドイツ・ソ連両国に母国を奪われた、

ポーランド軍人たちと協力関係を築いた。

彼らポーランド軍人たちも祖国を奪われたという弱い立場にあったが、

ドイツやソ連にひと泡吹かせたいという

強い気持ちをもっていた。



・そのような彼らと同じ目的に向かって、

協力していく関係を築いたことが、

杉原のインテリジェンス・オフィサーとしての

力の源泉であった。



・そのためには何より白系露人や

ポーランド軍人から信頼される必要があった。



・杉原が信頼を勝ち得た理由とは、

「協力者を絶対に守る」、

その一点に尽きるのではなかろうか。



★コメント

現代の情報収集や情報協力において、

参考になるエピソードばかりである。

学びたい。


 

 

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