◆徳本栄一郎『田中清玄。二十世紀を駆け抜けた快男児』を読み解く



★要旨



・1950年。

騒動の最中の8月上旬、会津若松駅に、

この集団の親玉らしき男が降り立った。



・男の名前は、田中清玄、東京の築地で三幸建設という会社を経営する実業家だ。



・彼が会津入りしたのは、橋や道路の工事の指揮のためではない。

猪苗代湖から流れる日橋川、その上流に位置し、

首都の電力供給基地である猪苗代第一発電所、それを共産党の破壊から守るためである。



・戦後史の裏で暗躍して、どこかへ去っていった謎の男たち、

それが田中率いる「電源防衛隊」だった。



・猪苗代は首都圏の生命線だった。



・太田が振り返る。

「田中が、配下の勇ましいのを送ったんだが、凄い連中がやって来た。

復員兵や特攻隊員、大学で空手やっとった学生、あと、背中に彫り物入れた本物のヤクザね。

一部は、田中が神中組の頃から付き合ってたと思う。

昔、横浜で土木会社を始めた時、組んだのが前科6犯の男だし。

所長に言って、皆、発電所で雇いましたよ」


 

・社長直属で、ごく一部の社員しか存在を知らない、

共産党討伐の部隊、それが三幸建設から来た行動隊だった。

とても堅気に見えない集団の出現に、さぞ共産党も驚いたはずだ。



・国際的な資源外交を裏で操るフィクサーとして、

資本主義の真っただ中で暗躍し続けた田中清玄氏は、

右、左の別なく幅広く複雑な人間関係を築いてきた。



・戦後の混沌とした時代、経営者の誰もが共産党の脅威に凍りついた時、

単身で立ち向かったのが、田中清玄だった。



・その後も、いくつもの大企業の争議で、

組合潰しやスト破りの黒幕として名前が隠見していく。

財界にとって、彼は救世主であり、恩人でもあった。



・田中は、「資本家の走狗」「体制側の黒幕」、ありとあらゆる雑言が浴びせられる。

新憲法が認めた労働運動を、力で圧し潰したのだから無理もない。

が、その彼らも認めざるを得ない、一つの明確な事実があった。


・それは、電源防衛で田中が見せつけた、共産党潰しの技量である。



・組合の人脈や指揮系統を調べ上げ、誰が、どのぐらいの影響を持っているかを摑む。

また、彼らの過激さを執拗に宣伝し、一般の労働者から孤立させる。

さらに、内部の対抗勢力を支援し、組合の主導権を奪ってしまう。



・共産党の強みと弱点、駆け引きを熟知した見事な戦術だった。


・必要とあれば荒くれ男を動員し、自らも殴りかかるなど、その行動力は、

大企業の青白い役員たちには望むべくもない。



★コメント

凄まじい時代である。