◆堀井憲一郎『落語論』を解説します。



★要旨



・ギャグは、落語の命なり。



・落語は基本、融和の芸なり。

どこか一部分を抜き出しても意味はない。



・落語は、テンポが大事なり。

先へ先へと進め。



・極論すると、落語家は顔がすべて。

顔は、看板なり。



・「落語は、一人で聞きに来てください」

志の輔が言った。

笑いのツボは、人それぞれだから。



・落語とは、業の肯定なり。

落語の表現は、人間のおこないすべてである。

人の行いを論評せず、引き受ける。

それが落語なり。



・落語の全体像なんて、わからない。



・観客も落語の一部なり。

一人ひとりが発する気配が、場の空気をつくっていく。



・聞き手は、落語の一部なり。



・落語の根本は、場にあり。

話ではない。



・メモされているようでは、落語は失敗。

祭りの最中に、みこしを担ぎながら、今の気分をメモする人はいない。



・花火大会のときに、綺麗さをメモする人はいない。

落語も一緒。

メモした時点で、大事なものを取り落す。



・落語の発祥の近いところに、お坊さんの説教がある。



・落語は、遊びなり。



・究極の落語とは何か。

舞台の上に出てきて、何もしゃべらず、

ニコニコしているだけで、お客さんは喜び、

何もしゃべらないまま降りて、演者もお客さんも満足する。

伝説的名人芸である。



・落語は、和を以って貴しとなす。



・落語は「集団トリップ遊戯」なり。



・落語とは、ライブなり。

言葉ではない。



・近代医療より、おばあちゃんのやさしい知恵のほうが安心する。

それが、落語なり。



・落語も、花火と同じ。

映像で見てもおもしろくない。



・落語の基本は、落語家が客に向かって発する「気」にある。



・落語に、「正しい原文」はない。

「完全な基礎テキスト」はない。



・わかりやすいものだけが、人の世ではない。



・落語は、物語ではない。

ストーリーもない。語り物である。



・落語は、体験なり。

身体でしか、感じられない。



・落語は、あらすじなど読まずに、

どこかのライブに直行したほうがいい。



・落語の神様は、セリフに宿る。



・落語は「言葉のやりとり」なり。



・落語の芯は、セリフである。



・もっとも無意味なところに、落語の真髄は宿る。



・落語は、ペテンなり。

要は、お客さんに冷静な判断をさせないこと。

落語も政治演説も、内容なんて誰も気にしない。



・落語をテレビで見ても、意味はない。



・その場限りの和を作るのが、落語の目的なり。



・お客さんのご機嫌を気にするのが、落語なり。



・落語家は、客との融和を常に目指している。

お客さんの気を読むべし。



・落語は、繰り返し聞くものなり。



・落語は、言葉よりも音のほうが大事。



・落語は、歌だから、何度も聞けるのである。



・人気のある落語家は、声がいい。



・落語は、歌である。

地味でかなり長い歌である。



・落語は、言葉であり、音楽である。



・いい落語は、心地いい音を出す。



・落語では、ひたすら音だけを聞くと良い。



★コメント

落語とは何か。少し近づけた気がする。