◆板野博行『眠れないほどおもしろい吾妻鏡』を読み解く



→副題。北条氏が脚色した鎌倉幕府の「公式レポート」



★要旨



・これは「鎌倉殿」をめぐる超ド級の権力闘争記なり。



・源頼朝からわずか三代で、源氏将軍は断絶の憂き目を見ることになる。

その後は北条氏による執権政治が行われる。



・北条氏が幕府の実権を握るに至るまでには、

邪魔者一族の討滅あり、闇にうごめく謀略ありと、

御家人同士の血で血を洗う超ド級の権力闘争があった。



・そうした事件を淡々と記しているのが、

鎌倉幕府の準公式記録である『吾妻鏡』なり。



・ただし、

「北条氏の北条氏による北条氏のための歴史書」なので、

いささか客観性に欠けるところあり。

そこで本書では、『吾妻鏡』に準じながら、

朝廷側にあたる慈円の書いた『愚管抄』やその他の資料も駆使して、

鎌倉幕府に渦巻いた権力闘争の真相に迫る。



・『吾妻鏡』は、徳川家康の「座右の書」として知られる。

まだ若き家康がこの本から何を学んだのか、

そして江戸幕府を開くにあたってどう生かしていったのか、

そのあたりも興味津々である。



・『吾妻鏡』は、全52巻といわれており、鎌倉幕府研究の基本文献だ。

編纂当時の権力者が北条得宗家(北条氏惣領の家系)であることから、

北条氏サイドに立った記録であることは間違いない。



・伊豆国の在庁官人だった北条時政が、まだ23歳の若者に過ぎなかったとき。

14歳の源頼朝が伊豆に配流されてきた。

これが運命の出会いだった。



・北条時政は初代執権になるものの、

その姿勢は「北条氏の北条氏による北条氏のための鎌倉幕府」に傾いていく。



・北条氏の本拠地は、伊豆の三島近くで、

時政のころの兵力はせいぜい50騎程度。

東国にゴロゴロ存在していた小さな武士団の一つに過ぎなかった。



・北条時政は、賭けに勝った。

頼朝は征夷代将軍となり、鎌倉幕府を創設したのだ。



・表に将軍を立てて裏で操る、

という二重構造を取ったのが北条泰時の執権政治だ。



★コメント

やはり史料から歴史を紐解くとおもしろい。

全体の流れがわかる。


 

 

 

 

 

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