◆早坂隆『大東亜戦争の事件簿』を読み解く


★要旨


・多くの軍人や軍属が敗戦の責任を取って、腹を切った。


・古来、武士は腹部に霊魂や愛情が宿っていると考えた。
その場所を割くことによって、
己の思う過ちを謝し、恥を雪いだのである。


・日本の武士は明治維新によって消滅したとされる。
しかし、本当は大東亜戦争まで存在したのである。


・樋口季一郎によるユダヤ人救出劇。


・「日本のシンドラー」といえば、杉原千畝が有名である。
しかし、「日本のシンドラー」はじつはもう一人いた。
その人物とは
「オトポール事件」を主導した陸軍軍人・樋口季一郎である。


・樋口は1907年、陸軍士官学校入校。
その後、陸軍大学校で、おもにロシア問題を研究。
日本は新たに生まれた「ソ連」の動向に対し、
より緊張感を強めざるをえなくなった。


・陸大を卒業した樋口は、
ロシアに対するインテリジェンスの道を歩んだ。


・いわゆる「情報将校」として、
樋口はウラジオストク特務機関員やハバロフスク特務機関長などを歴任。


・樋口は、1925年ポーランド公使館の武官となる。
ポーランドでの生活は約3年間におよび、
彼はそこで最新のヨーロッパ情勢について学んだ。


・加えて、ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の深刻さへの認識も深めた。


・日本精神とは現在ではあまり聞かれない言葉だが、
かつて日本が統治した台湾では今も大切に受け継がれている。


・日本精神とは、勤勉、正直、誠実、公正、責任感、
といった意味を表している。


・樋口は満洲のハルビン特務機関長のとき、
満洲に逃れてきたユダヤ人難民を助けた。


・当時、樋口の行動はドイツ側から抗議があり、
関東軍内部でも、樋口に対する批判が起きていた。


・樋口は、時の関東軍参謀長・東條英機に対し、
次のように言い放った。
「参謀長、ヒットラーのお先棒を担いで
弱い者いじめすることを正しいと思われますか」

東條は樋口の述べる主張に理解を示した。


・東條は「当然の人道上の配慮」として、樋口を不問に付した。
樋口はこうして失脚を逃れた。


★コメント
あらためて、樋口季一郎の功績について学びたい。


★早坂隆
『大東亜戦争の事件簿』