◆竹村公太郎『幸運な文明。日本は生き残る』を読み解く


※要旨


・桓武天皇はその危険な鬼門の侵入口を防御するため、
比叡山に延暦寺の創建を命じた。
そして、その延暦寺に僧侶群を構えさせ、
鬼門を見張らせ、長岡京を守らせたのだ。


・その比叡山が見張るべき長岡京の鬼門は、
「逢坂」であった。


・戦国の世を制するためには、上洛しなければならない。
上洛するためには、この狭い逢坂峠を通らなければならない。


・織田信長が琵琶湖を制した直後、
比叡山焼き討ちに向かったのは当然であった。


・京への入り口である逢坂峠を自由に行き来する。
それが、信長の比叡山焼き討ちの目的であった。


・文明存続にとって、人々が自由に交流し、
情報を交換することは必須である。


・人々が出会う情報交換の中で、新しい知が生み出される。
その新しい知が、未来の文明を切り開いていく。


・自由な交流が制約され、
人々の出会いと情報交換が貧弱になれば、
文明は必ず衰退していく。


・江戸時代、江戸からの強烈な情報発信システムが存在した。


・書籍、言葉、絵画、芝居、服装、流行と
あらゆる情報が江戸から発信されるシステムがあった。
日本列島の人々はその情報システムを受け入れていった。
その情報システムとは「参勤交代」であった。


・一つの言語で話す民の強さ。


・江戸時代の260年間、
参勤交代は江戸の情報を全国津々浦々へともたらした。
全国各地の人々は領主が持ち帰る江戸の文化を吸収し真似した。


・山と海と川で分断された土地に生きる日本人たちは、
もともと情報好きだった。


・江戸からの最高級の情報は圧倒的な力を持ち、
人々は江戸の文化に染まっていった。
もちろん、話し言葉もだ。


・世界史でもまれに見る権威、権力、情報の一極集中が形成された。
全国から人々が東京に集まり、同じ日本語で話した。
分散していた知恵と富が集中し、
その総力が日本を封建社会から国民国家へと変身させた。


・日本語という一つの言語で話す日本人たちは強かった。
半世紀後の1940年には世界の列強と戦い、武力で負けると、
その30年後の1970年は、
米国に次ぐ世界第2位の経済大国にのし上がった。


★コメント
あらためて、いろいろな角度から日本史をみると
おもしろすぎる。
研究と実践を続けたい。