◆江崎道朗『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』を読み解く


★要旨


・一九五〇年代前半の日本で、
真剣に「日本版CIA」をつくろうとした政治家がいた。 
緒方竹虎という。 


・吉田茂首相の跡を継いで自由党の総裁となった政治家であり、
一九五五年(昭和三十年)の保守合同の立役者、つまり現在の自由民主党をつくった中心メンバーの一人だ。


・イギリスに留学して憲政と労働運動を学び、
ソ連・共産主義とファシズムから自由主義を守るべく、
朝日新聞の幹部として大日本帝国憲法の改正・運用の改善を主張する。


・東條内閣の跡を継いだ小磯國昭内閣に大臣として入閣し、
日本のインテリジェンス機関である「情報局」総裁に就任。
「情報なき政府」の実態に直面する。 


・終戦に向けて日中和平工作を模索するも、
外務大臣の重光葵らと対立して挫折する。


・日本の講和独立後、吉田茂首相の後継者と目されて政界入りを決断、
衆議院議員初当選で第四次吉田内閣の国務大臣兼内閣官房長官(後に副総理)に就任する。 


・占領軍やCIA、中国国民党の蔣介石政権と連携し、
中国共産党に対抗するインテリジェンスの再建を図る。 


・自由党総裁として保守自由主義の立場から減税と景気回復を訴え総選挙を戦い、
保守合同を推進し、自由民主党を結成する。


・要は保守自由主義の立場から、
戦前・戦時中に朝日新聞社の幹部、そして「情報局」総裁として情報と国策の問題に苦しみ、
戦後は吉田茂内閣のもとで、
アメリカと連携しつつ日本のインテリジェンス機関を確立しようと奮闘し、
保守合同を成し遂げた人物なのだ。


・緒方は小磯内閣で情報局総裁に就任するや、
言論の自由を回復する方向へと政策を転換するとともに、
陸軍、海軍と官邸とが一堂に会して情報を共有・分析する仕組みを構築しようと奮闘し、
終戦を模索した。


・戦後も吉田茂首相のもとで、アメリカと連携しつつ、
本来の意味での保守自由主義に基づく日本版CIAを創設し、
ソ連や中国共産党といった全体主義勢力から日本の独立と自由を守ろうとしたのだ。


★コメント
あらためて、日本の歴史における、インテリジェンスの歩みの凄さを知った。
知らないことばかりであった。
学びたい。