◆内藤陽介『蘭印戦跡紀行。インドネシアに「日本」を見に行く』を読み解く


※要旨

 

・「空の神兵」というと、
一般には精油所への落下傘降下というイメージが強いようだが、
実際の南方軍の命令は
「飛行場を占領せよ。精油所はなしうれば占領確保せよ」
というもので、
パレンバン飛行場の確保が最優先とされていた。


・バレンバン飛行場が
スマトラ中南部では唯一無二の規模を誇っており、
ここを
確保することがその後の作戦上重要であったからだ。


・蘭印時代の石油産業


・蘭印での油田開発は、1880年、
オランダ人のセイクラーが北スマトラの
スルターン(イスラム系の地方君主)、
ランカットからパンカラン・ブランダン
に近いトゥラガ・サイドの開発権益を与えられ、
石油開発事業を始めたのが最初である。


・ボルネオ島では、
1898年にシェル運輸貿易会社(シェル) の石油部門が
バリクパパンで製油所を操業し、成功を収めていた。


・もともと、同社は、
 ユダヤ系商人のマーカス・サミュエルが
日本の三浦海岸で捨った貝殻を宝飾品として
ロンドンで販売したのが始まりで、
その後、
カスピ海などからの貝殻の輸入のためにタンカーを運航するなど、
事業の多角化に乗り出していた。


・その一環として、サミュエルは
ロシア産の灯油をスエズ運河経由で
バルク輪送し東洋で販売することを思いつき、
8隻のタンカーを発注。


・1882年、その最初の船である
「ミューレックス号」がスエズ運河を無事に通過すると、
サミュエル商会は極東の主要港に
石油のバルク貯蔵所を設置する。


・シェルは、消耗戦を早期に終了させて生き残るべく、
スタン
ダード・オイル、 ロイヤル・ダッチの双方と
並行的に提携交渉を進める。
そして、1901年12月、
スタンダードオイルとの交渉を打ち切って、
ロイヤルダッチとの提携について原則的に合意した。
いわゆる 「英蘭協定」の締結である。


・ところが、英蘭協定の締結後も、
シェルとロイヤルダッチの販売競争は収まらなかったため、
1903年6月、
ロスチャイルドの仲介により
「東方でのお互いの競争をやめる」ことを目的として
三者合弁(出資比率は対等)の
アジアティク・ベトロリアムが設立された。


・なお、
ロイヤルダッチが、パレンバン近郊
のブラージュに製油所を建設したのは、
翌1904年のことである。


・その後、1907年にはロイヤルダッチとシェルの一本化が成立し、
アジアティクペトロリアムを包摂するかたちで、
「ロイヤル・ダッチ・シェル」グループが結成された。


・ちなみに、
共同事業としての持ち分は、
ロイヤルダッチが60%、シェルが40%である。


・ロイヤルダッチシェルは、
蘭印での油田開発や製油所の操業、管理、
製品販売の実務を担当する会社として
バターフセ石油会社を設立する。

 

 

※コメント
インドネシアの歴史は
分かっているようでわからないことが多い。
そういう意味で本書は
より深くわかりやすく学べる。

 

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